小伝馬町→小舟町天王

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さて 南伝馬町 大伝馬町ときて 残る小伝馬町天王のことなんですが
この祭礼に関しては「不詳」であると「東都歳事記」に書いてあります
「守貞漫稿」によると 正徳(1711~)頃 疫病除けで 小舟町に遷座して
そのままになったんだよ・・・と 書いてあります
でも それ以前の祭の記録はないようなので そもそも 小伝馬町では
祭 やってなかったんじゃないでしょうか?
南伝馬町は 慶長18年(1613) 大伝馬町は元和(1615~)頃
結構早いうちに 祭の記録があります
それに対して「小伝馬町から小舟町に移ったのは寛文6年(1666)」と
いう記事も見つけましたが 最初の祭りに関しては 何もなし
不思議ですよねー 小伝馬町って 神田・山王どちらの氏子でもないんですね 
氏子になってるのは 天王だけです
こういうのもあったんだー と 不思議な感じ
かたや両方に参加し またどちらにも参加しないのは 何故?
そして初めて気付いたのですが どちらの氏子でもない町って結構あります
そのうち○○同朋町とか ○○屋敷が 氏子でないのはわかります
どちらも拝領地に住んでる人で 町人ではないからね
その他の 現人形町の一部とか 紺屋町が入っていないのも
歌舞伎役者や藍染め職人が 被差別民だった時からの慣習なんでしょう
じゃあ小伝馬町は? 「囚獄」ができたからなのかしら?
ああ 気になってたまらない! この辺のこと書いてあるものをさがさないと・・・

あら まあ とんだ寄り道・・・!
とりあえず小舟町天王の祭礼については たくさんあります
「この祭礼で 有名なるは二王尊の像を染めだした大幟
「天王おまつり・・・と仮名文字で書きたる幟は 蜀山人の考案
「日本橋魚河岸へ渡御すれば 魚問屋は数千本の団扇をまき散らす
 一名 うちわ天王」 (「絵本江戸風俗往来」より)
「十日未明に明神を出て 氏子百八十ヶ町を巡り巡って 帰るのが十三日か十四日
 その間の里程が丁度十三里あるというので 一に十三里天王」(「東京年中行事」より)

まあとにかく 派手なお祭りだったようです
天保の改革以後は 少し抑え気味
そして明治になると ほとんどの祭りは消えていきます
さしもの小舟町天王も 明治後期には「もう十二年も絶えている」(「東京年中行事」)
と いった状況でした
今は 4年に一回くらい 復活してるのかな?
あ、あともう一つ「こぶねちょう」といいぐせがついてる人もいますので
小舟町=こぶなちょう です
早めに直しましょう ではまた!
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by tukitodoraneko | 2015-07-10 17:35 | 祭と歳事 | Comments(7)

Commented by 忍び駒 at 2015-07-11 10:12 x
月猫様
神田明神の三摂社は謎が多いので大変興味深く拝見しております。
おっしゃるように、小伝馬町山王祭も謎がいっぱいですね。
もともと、江戸社と山王社の二つの神社しかなかったかもしれないと言いましたが、
そう考えたら、三つ目のお祭りが分かり難い謎が解けるかも知れませんね。
Commented by tukitodoraneko at 2015-07-11 13:32
ああ 忍び駒さま 私もそう感じています
神田明神は 芝崎道場の将門と 地主神でスサノオを祀る江戸神社を
一緒にして「神田明神」という鎮守にしたというのが 本来だったのかと・・・
そう考えると 江戸神社(南伝馬町天王)の神輿の登城が慶長18年
山王は その2年後に神輿が城中に入る(大阪の陣の直後)
それに対し 神田の神輿が城内に入るのは元禄(1688)と だいぶ
遅れているのもわかる感じがします
江戸神社の社伝では 700年代初頭の創建で そうなると将門より
古いという事になりますが 「延喜式の神明帳」には それらしい神社がありません
そもそも武蔵国では 国府をのぞいては氷川・秩父・大井(品川)の辺りに
神社が集中していて 江戸入江辺りは 8世紀ごろには官弊社は見当たりませんね
徳川以前の 古い江戸の地誌があれば いいんですがねー・・・ 
Commented by tukitodoraneko at 2015-07-11 13:34
すみません 神明帳→神名帳です
Commented by 忍び駒 at 2015-07-11 21:32 x
月猫様
鶴ヶ島の小人様には難し過ぎると叱られそうですが、ちょっと引いて時代を考えてみましょうか。
平安時代の初めの江戸の海岸線ははるか内陸の浅草あたりですよ。
古代東海道は京都から常陸の国府・石岡に向かう官道ですが陸路を進むことが出来ず、三浦半島から海を渡って木更津を経由して北上していました。
平安中期になって陸路を進むことが出来るようになったとは言え、東海道ははるか内陸の府中から東進して鐘ヶ淵で隅田川を渡り、千葉の国府台を経由して北上しています。
更級日記や梅若物語を思い出して下さい。江戸は当時、葦や荻が生え、潮がよせる湿地帯です。

ところが、神田明神の創祀は聖武天皇の時代とされていますから、奈良時代ということになります。
江戸神社は更に古く、文武天皇の時代と言いますから、まだ藤原京の時代ということになります。
江戸神社は千葉県の洲崎明神のご祭神の分霊を祀ったようですから、当然洲崎明神より後になるはずですが、
洲崎明神は平安時代の初めに祀られたといわれる神社です。
延喜式はどうかというと、平安初期から編集に入りますが、60年以上かかって施行されたものです。
こんな時代の状況を総合して考察してみて下さい、推理すればいろいろなものが見えて来るはずですよ。
Commented by tukitodoraneko at 2015-07-12 12:15
忍び駒さま
あー・・・!そうですよねー、見えてきました!
歴史も 推測できる部分はおもしろいですねー
寺社関係 不得意で敬遠していた部分ですが
いろいろ調べていくうちに 俄然 興味がわいてきました
初心者の私では レベルが違いすぎて 御苦労かと思いますが
これからもよろしく ご教導ください
昨日から 古い地図が載った本を さがしておりました
地図を見ると その時代のこと よくわかりますね
昨日見つかったのは 慶長8年 江戸大火の後の中心部の地図
江戸開府の年なのに 丸焼け状態だったなんて・・・
寺社もほとんど焼けたでしょう
この分野は 災害史(特に火事)と 地誌(主に地図)と共に
見ていかないと わからないんだなーと 感じました
Commented by 鶴ヶ島の小人 at 2015-07-16 11:01 x
月猫様、忍び駒様
ちょっと旅行つづきでブログチェックをさぼり、まとめて読んでいたら、私の名が見つかってビックリ。
確かに私にはぼんやりとしか理解できないなあ。
先週末はしかし奈良を半日、昭ちゃんの娘さんに案内してもらって聖武天皇のころを歩いてきました。平城京はちらーっと電車から見ただけですけど、奈良最古のお寺など見てまいりました。でもこれは忍び駒さまの文章の理解にはつながっていないですね(笑)。コピペしてじっくり何度も読み直す・・と。
Commented by tukitodoraneko at 2015-07-16 15:17
鶴ヶ島の小人さま
むすかしいですよねー 歴史って!
時間という横軸と 空間(地形)という縦軸を使い
3Dで 理解しないといけないのでねー
私は よく鈴木理生先生の「都市学」としての江戸・・・の本を読んでいます
徳川以前、そして直後の江戸の地図が満載で 目からウロコです
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