三伝馬町と祇園三社

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コメント欄で 寺社先生から「目の付けどころがよい よし、よし」と
ちょっとほめられたので 調子にのって書きます
神田明神の摂社 三天王のことですよ
現在は 江戸神社・八雲神社(二社)で 
どれも祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です
スサノオの表記は 何種類もありますが 素戔嗚尊が日本書紀系
須佐之男命が古事記系の表記となっています
建も速も 神名などにつく強調で 強い 力のある といった感じ

さてこの三社 江戸時代はどうだったのかな?

ご存知のように 江戸時代の史料は中期以降のものが多く
最初の頃の町場の様子は 何とも測りがたいのですね
その中で 江戸神社=一の宮(南伝馬町)に関しては
「南伝馬町名主高野家日記言上之控」という文書があります
(公文書館にあるものですが ネットでも検索すれば一部読めます)
これによりますと 家康が江戸入りした時 後にお城になる辺りには
千代田村 宝田村 祝田村などのいくつかの村落がありました
そのうち宝田村に住んでいた北条氏の家臣・高野新右衛門に
伝馬役が仰せつけられ 彼は南伝馬町の名主も兼ねる事となります
また城内となる土地には 多くの寺社がありましたが
これも城外に移転させられ その内の一社・江戸神社は
神田明神と共に 駿河台から今の地へ移り 摂社となります
この時期に 大伝馬・小伝馬・南伝馬という重要な役を受けた町ができ
少なくとも南伝馬町は 古くからの地主神・江戸神社の氏子となったのでしょう
もちろんそれ以前から高野氏が祀っていたのかもしれません
最初の祭は 慶長18年(1613)6月7日です
10人ほどで神輿をかつぎ 10人は幟りを持ち 獅子頭も出
二代目新右衛門が馬に乗って随身して「登城」
この時 「登城した」とあるのですが この頃の江戸城の外郭が
どの程度 できあがっていたのかわかりませんが
実際は 大手の橋の上まで 総勢30人くらいで行ったようです
この先例があったので 南伝馬町の神輿は その後も
お城の大手門の橋上で 奉幣した・・・と「東都歳事記」にあります

上の絵は 江戸後期のものですから 神輿だけでも大変な人数です
でも 開府直後の江戸の祭って 30人くらいで粛々と催行したんでしょう
う~ん・・・しみじみするなっ!

長くなってしまったので あとの二天王は この次に・・・
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by tukitodoraneko | 2015-07-08 17:26 | 祭と歳事 | Comments(0)

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