祇園三社 神田明神内

f0122653_1529338.jpg← 戦国時代の祇園会を見物したのは彼 
ルイス・フロイス
長崎に銅像が立つ宣教師です
彼は 細微に渡る冗漫な「日本史」を書き残した人
もううんざりするほど 細かい記述ですが 信長や秀吉も
実際にその目で見た人の正直な描写は おもしろいです
たいていの図書館にありますから おヒマな時にどうぞ
「秀吉は 六本指だった」という衝撃の事実も書いています
彼によると 戦国期の京都・祇園会も たいそうな人出
当時の三基の神輿は 最初のが「祇園(の神)」
二番目のは 「その神の妾」で 三番目が「正妻」だそうです
どういう聞き方したのか もしくは勝手な推察なのか
確かめるすべはないようなので わかりませんが
彼の目には そう映ったんでしょうね 
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さて 祇園社の三基の神輿といえば お江戸にもありますね
↑ 「江戸名所図会」の「神田明神社」の挿絵 
赤く囲んだ所に「牛頭天王三社」とあります
これ今も 大体同じ場所 本堂に向かって左手に三社 並んでいますね
現「江戸神社」と 二つの「八雲神社」がそれに当たります
江戸時代には 「祇園三社」とも呼ばれていました

一の宮・・・祭神 スサノオノミコト 南伝馬町の天王・中橋の天王 大政所(おおまんどころ)
二の宮・・・   五男三女=八王子 大伝馬町の天王 
三の宮・・・   奇稲田姫     小舟町の天王        本御前(もとごぜん)

本文から まとめると こんな感じです
それぞれに氏子もちがい 旧暦六月中に 別々の日に 神輿が出ました

当時の様子は また次に・・・
 
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by tukitodoraneko | 2015-07-07 16:51 | 祭と歳事 | Comments(2)

Commented by 忍び駒 at 2015-07-08 08:36 x
月猫様 
神田明神の三つ摂社に目を付けられたのはただ者ではありません。さすがです。

「江戸神社」、「大伝馬町八雲神社」、「小舟町八雲神社」の三つの神社には、
京都の八坂神社の3座の神様をバラバラにしたように祀られていますよね。その中でも江戸神社だけが江戸の地主神とよばれます。
どうしたことかと、勝手に推測したことを書いてみますので、厳しいご批判をお待ちします。

江戸初期の江戸城の図には、地主神と天王社の二社が並んで描かれていて、神社は二つでした。
千葉県の南部の安房国は、四国の阿波国から海を渡ってやって来た忌部氏(いんべし)が、開発したところだといわれます。
忌部氏の遠祖は天孫降臨の時に同行して降りて来た、天太玉命(あめのふとだまのみこと)です。
千葉県館山市には安房神社があり、祀られているのは天太玉命と、奥さんの 「天乃比理刀咩命」 (あめのひりとめのみこと)です。
この天乃比理刀咩命は海上安全の神様として、東京湾を取り囲むように各地に祀られていて、品川神社などにも祀られている神様です。

江戸城に地主神として古くから祀られていたのは、この天乃比理刀咩命ではなかったかと思います。
そしておそらく太田道灌の時にもう一つ神社を作って新たに牛頭天王も祀るようになったのではないでしょうか。
この二つの神社が合併して一つの神社となり、その時に神様は牛頭天王だけになったのではないかと思います。

その後、牛頭天王を祀る天王社を、南伝馬町、大伝馬町、小舟町の3地域の氏子に分けるため3つの神社に分割し、
祭神は牛頭天王から素戔嗚命に替えられて、現在の江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社となったのではないかと思います。
現在は、天乃比理刀咩命は祀られていませんが、地主神という位置付だけを継承しているように思います。
長文まことに失礼いたしました。
Commented by tukitodoraneko at 2015-07-08 13:07
忍び駒さま
いえいえ 江戸神社は開府以前から 宝田村にあった地主神であった・・・
ということは 今日書こうかなと思っていましたが 「アメノヒトリメノミコト」には
たどりつけませんでしたので お勉強になりました
私の浅ーい知識で 神田明神の祇園三社まとめてみますので
またご笑覧ください 
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