祇園祭 江戸時代

f0122653_16231778.jpg「京都祇園祭礼」 二代広重です
この他にも「祇園祭礼図屏風」という
ものが 京都国立博物館や 
出光コレクションに残っています
出光のものは 慶長ごろのもので 
一番古いかも・・・ということですよ
山鉾や 神輿も詳細に書かれていますので ぜひ検索して見ておいてください 雰囲気がつかめます
この時代は「八坂神社」ではなく 
「感神院 祇園社」の祭礼です
神仏いっしょくたなんでね
別当寺が「感神院」ということです
そして祇園祭は 神輿よりも山鉾の方が メインみたいになっていますが 江戸時代にもちゃんと三基のお神輿 出ているんですよ
現在は 中の座が 素戔嗚尊(すさのをのみこと)西の座が 櫛稲田姫命
(くしいなだひめのみこと)
東の座が八柱御子神(やはしらの
みこがみ)・・・スサノオとクシイナダ
ヒメの間に生まれた八人の子 というわけですね
神仏分離以前は 中の座が 牛頭天王
西の座が その妻・頗梨采女(はりさいにょ)
東の座は 牛頭天王の八王子=八将神 だったということです
近世の国学の隆盛は やがて尊王攘夷ともなり
維新以降は 神仏分離→ 廃仏毀釈と 極端に進みます
この過程で 異国の仏教がらみの牛頭天王は 排斥される傾向があったのでしょう
八人の子供も 元は牛頭天王の子だったのを 主祭神を スサノオに変えたので
それに合わせて「スサノオの子」としたので 神社によっては
その八人の御子神の名前が 違ってたりするのも そのせいかと思います
小柄原(=小塚原)牛頭天王→スサノオ神社
浅草・蔵前牛頭天王→須賀神社 のように 社名からして変わったのもたくさんあります
江戸時代までの社名を ちょっと調べておくのがいいかもしれません

もう一つ 戦国時代 この祇園会を見て その群集の多さに驚き
「この祭りは 祇園という偶像を拝するもの」と書き残した人
誰だかわかりますか? 外国人ですよ

調べたらすぐわかりますが 答えはまた今度
 





 
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by tukitodoraneko | 2015-07-05 19:10 | 祭と歳事

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