「外道」ですってよ!

f0122653_1201136.jpg← これ読んでますか?
「今昔」同様 これも愛読書ですよ
この中刊の序 書いてみましょう
「ひそかに思いみれば二つの御代あり
宣化天皇(28代 6世紀前半)以前は
外道に従い 卜者(かんなぎ)をたのみ給えり
欽明天皇(29代)より後は 三宝を敬い 正教を信じ給えり」

外道=仏教以外 正教=仏教です
しかし 薬師寺の僧が書いたものといえ
「外道」って 結構なインパクトですね
ここに書いてあるように仏教の伝来は
欽明天皇の時代、と伝わっています
「霊異記」が書きとめられたのは平安初期
9世紀の前半ですから 仏教は300年の間に「正教」と言えるほど隆盛してきたわけです
仏教を現在のように 単なる一宗教と考えると理解しがたいですが
当時は 仏教=「文化大系」・・・簡単に言えば技術・産業・芸術・思想
全てを含んだ大陸からの先進文化だったわけですね
宗教としての仏教は あくまでそれまでの日本古来の神々を
否定しないように うまく融合しながら発展していきます
権現や明神というのは その過程で生まれて来たものです
権現の「権」は 「仮に」という意味
権大納言・権守(ごんのかみ)など官位にもつきますね
この場合は「定員外」という意味ですよ
仏にしろ人間にしろ「仮に神の姿で現れる」と「権現」です
徳川家康=東照大権現も その一つですね
そして明らかに神に成りおおせると「明神」ってわけ
この他にも 天に昇って、天から降臨して 神となると
「天神」と呼ばれたりもします
反対に 神であるはずの八幡さまも「八幡大菩薩」と言いますね
こういうのを 神仏混淆 または神仏習合と申します
f0122653_1424192.jpg

仏像って 奈良の大仏を始めたーくさんありますよね
上の写真は 薬師寺の国宝「三神像」
平安前期の作で 数少ない神像の一つです
ちょうど「霊異記」が書きとめられた時代ですね
この真ん中が 薬師寺鎮守八幡宮 なんと僧形の八幡神ですよ
右は 神宮皇后(じんぐうこうごう) 左は仲津姫命(なかつひめのみこと)
三神一具の神像となっています
仏像とちがって 神の御姿は 基本 見てはならないものです
今でこそネットで出回っちゃってますが 昔は厨子などに納められ
人目に触れることはなかったでしょう
ありがたいんで どうぞ拝んでくださいね
では、また!


 
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-02-25 14:17 | 祭と歳事 | Comments(15)

Commented by 忍び駒 at 2015-02-26 07:27 x
月猫様
神様も人間と同じように迷い苦しんでいるので、仏教の力で救済しなければならない。そのためには、神社の境内に神宮寺というお寺を建て、
神様の為にお経を読み、神様のお心が休まるようにして差し上げようと考えました。

宇佐八幡の境内には弥勒寺というお寺が建てられ、朝夜、お経が読まれるようになりました。
宇佐八幡の神様である応神天皇は出家してお坊さんになり、頭を丸め、袈裟を着け、名前も仏教の菩薩という名前に改名しました。

宇佐八幡の神様は仏教を守る神様となり、奈良まで出かけて、大仏建立を手伝いました。
皇室の血統が途切れそうになった時も、頑張って守りました。

宇佐八幡の分霊を移した京都の岩清水八幡になると、更に進んで、お寺と神社を一つの建物に収めて、「岩清水八幡宮護国寺」と称しました。
「宮寺」制といいます。神仏習合どころか「神仏合体」ですね。
岩清水八幡宮護国寺を建立したのはお坊さんで、最近まで宮司さんを務めていた人は、創建したお坊さんの子孫です。
神仏習合は難しいですね。
Commented by 鶴ヶ島の小人 at 2015-02-26 14:40 x
月猫様
聞きなれている「権現」「権大納言」などの「権」、今日まで知らなかったです。「権力」の権と同じかと思っていました。たしか「東照大権現」は天海僧正が主張して決まったのですよね。明神の方が格上に思えるのですが、そこはあえて権現として存在感を表したのでしょうか?
Commented by tukitodoraneko at 2015-02-27 09:30
忍び駒さま
はい 本当にむずかしいです^^;
私のような初心者にもわかるように書きたいのですが
やはり膨大な知識を持っていてこそ「わかりやすく」説明できるのでしょうね
いつもご協力ありがとうございます!
Commented by tukitodoraneko at 2015-02-27 09:36
鶴ヶ島の小人さま
金地院崇伝が「明神」を推したんですよね
秀吉が「豊国明神」となっていたので 縁起が悪いということで
天海の「権現」になったということらしいですよ
Commented by 鶴ヶ島の小人 at 2015-02-27 11:26 x
月猫様
ああ、そうだったのですね。私は川越が好きなので、ちょっと天海びいきのところがあるのです。108歳まで生きたなんてところもイイナと思いまして。天海僧正、年の功で押し切ったのかな?
Commented by 忍び駒 at 2015-02-27 11:34 x
月猫様、鶴ヶ島の小人様
平安時代の公式文書には「名神」(みょうじん)という表現が出てきます。有名な神社、名前のある神様、霊験あらたかな神様と云う意味ですね。
鎌倉時代以降は同じ意味で「明神」(みょうじん)と書くようになりました。

室町時代後期に吉田兼倶の唱えた吉田神道のことを「唯一宗源神道」といいます。藤原氏の先祖の神様から吉田家に伝った唯一の神道だという意味ですが、
密教、道教、陰陽道などの良いところを寄せ集めて組み立てたようなものでした。
仏教、儒教、神道のなかでは神道が最も根本的な思想であるとしています。
吉田神道では、霊験あらたかな神様を「明神」、「大明神」という言い方をします。
江戸時代初期の吉田神道の当主は吉田兼見、その弟が神龍院梵舜(ぼんしゅん)という豊国神社の社僧でした。
豊臣秀吉を祀っていた神社のトップを務めるお坊さんです。
 
一方で、中世に天台宗が唱えた神道のことを「山王神道」といいます。山王とは比叡山のことですよね。
天台宗は仏教ですから「本地垂迹説」で、「権現」、「大権現」という言い方をします。
月猫さんのおっしゃる通り、仏様がもとにあって神様は仮の姿で現れたという意味です。
天台宗の天海はそれさらに発展させて、「山王一実神道」を唱えました。神様が本であって、
仏様のほうが仮の姿だという「反本地垂迹説」だったと言われています。

徳川家康を日光に改葬しようという時に、梵舜の唱える「唯一宗源神道」と、天海の主導する「山王一実神道」が争ったのは有名な話でしたね。
鶴ヶ島の小人さんのおっしゃる通りで、それぞれの説を、坊さんや学者や幕閣が支持して大騒動なったのでしたね。

そんな神道イデオロギーをめぐる大騒動も、なんと反秀吉と言うだけで決着してしまったんですよね。
長文失礼致しました。
Commented by tukitodoraneko at 2015-02-27 13:25
忍び駒さま
うわ~!またわかりやすかったです!
昨夜も皆さんに ぜひ、コメント欄を読むように!とお勧めしました
きっと読んでくださるでしょう
そして「ご存知でしょうが・・・」が出てくるかな、と 楽しみにしていることでしょう^^p
Commented by 鶴ヶ島の小人 at 2015-02-27 14:34 x
月猫様、忍び駒様
ひゃー、天海僧正は比叡山からの独立をもくろんで寛永寺を作ったのですよね、まさか「神様がもとで仏様が仮の姿」などという説を唱えたとは全く知りませんでした。幼稚園から高校までカトリックだったけど、二元説になじめなかった私は、一元説の仏教を「なんて理論的!」と思ったのですが、「神は人と違う」説と「人は仏になれる」説を一緒にすると、「反本地垂迹説」(この言葉何処の漢字がどの意味かが難しくて全く不明ですが)となるのかなあ?(混乱)
Commented by 忍び駒 at 2015-02-28 11:53 x
月猫様
写真には「休ヶ岡八幡宮」の三人の神様の像が載っています。「休ヶ岡八幡宮」は奈良の薬師寺の鎮守様です。
薬師寺という仏教のお寺を、日本の神様が護って上げましょうというものですから、これも「神仏習合」のもう一つのタイプです。

平安時代に宇佐八幡から分霊を移された神社です。写真にある神像は30㎝程度の小像で、神社の御神体だったものですが、
神仏分離で奈良国立博物館に預けてあります。その中の一つの謎についてご紹介しましょう。

1「休ヶ岡八幡宮」
休ヶ岡八幡宮の3神のうち、真ん中のお坊さんは八幡神ですから「応神天皇」です。右側が応神天皇のお母さんの「神功皇后」、
左側が応神天皇の正妻の「仲津姫命」とされています。

2「宇佐八幡宮」
本家の宇佐八幡の現在の神様は、「八幡大神」、「比売大神」(ひめのおおかみ)、「神功皇后」とされています。
この「比売大神=仲津姫命」であれば何も問題ないのですが、そうは行きません。
古い説の中に龍女という応神天皇の妃であると云う書も残っていますが、宇佐八幡では宗像大社に祀られている3人の女の神様の総称だと説明しています。

3「市谷八幡宮」
鎌倉の鶴岡八幡宮は「応神天皇」、「比売神」、「神功皇后」となっていて、宇佐八幡と同じですが、
そこから分霊を移した、市谷亀岡八幡宮では、「誉田別命(応神天皇)」、「気長足姫尊(神功皇后)」、「与登比売神」とされています。
この「与登比売神」って誰のことでしょうか。

4「富岡八幡宮」
富岡八幡宮は、永代寺に祀られていた神様も引き継いだ関係でしょうか、沢山の神様が祀られていて、
その中に「応神天皇」、「神功皇后」の名前はありますが、比売神、仲津姫命、与登比売神などという名前はありません。

この神様に限っては、同じ八幡宮でも、何故には解釈が分れたり、祀られたり祀られなかったりするのでしょうか。
Commented by 忍び駒 at 2015-02-28 18:16 x
鶴ヶ島の小人様

今は、時間があるので、ご理解を頂くためのサービスとして、比叡山にある日吉大社の神様を例にとって「本地垂迹説」のご説明をさせて頂きましょうか。
日吉大社には東と西の二つの本宮がありますよね。

東本宮に祀られている神様は、「大山咋神」(おおやまくいのかみ)という日本の神様です。
この神様は、実はインドにいるときは「薬師如来」という仏様であったが、比叡山に出現する時に仮の姿として「大山咋神」という
日本の神様の姿で現れたのだと解釈されています。
「薬師如来」というインドの仏様のことを「本地仏」(ほんちぶつ)といい、「大山咋神」という日本の神様のことを「垂迹神」(すいじゃくしん)といいます。
そしてこのように、神様と仏様をワンセットで理解することを「本地垂迹説」といいます。

西本宮の神様は「大己貴神」(おおなむちのかみ)という日本の神様で、インドにいるときは「釈迦如来」という仏様だったと解釈されています。
この場合、本地仏は「釈迦如来」、垂迹神は「大己貴神」ということになります。

このように仏様を中心(本地)に据えて、神様を仮の姿(垂迹)として解釈するのが本地垂迹説ですから、当然にして最初は仏教サイドの構築した神道理論です。
そして、一体どうして、この神様とこの仏様がワンセットになるかなるかということを、
矛盾なく説明するのは高度の理論を駆使した大作業になりますが、その理論が比叡山延暦寺の学僧が築きあげた神道理論で、
これを「山王神道」といいます。山王とは比叡山のことです。
実は、その理論の内容の方が重要で、かつ大変に興味深いのですが、そろそろ晩御飯になるようですから、ここでは割愛させて頂きます。スミマセン。 

Commented by tukitodoraneko at 2015-03-01 15:08
忍び駒さま
「山王神道」おもしろそうですねー
晩御飯になってしまったのが残念です
仕方ないので ちょっと本でも探して お勉強してみます
最近は すっかり忍び駒さまのコメント解説に頼りきりで
自分でお勉強しなくなっちゃいましたねー^^
Commented by 鶴ヶ島の小人 at 2015-03-02 12:05 x
忍び駒さま
まあ!なんと、私の「混乱」(何がわからないかもわかっていない)を整理してくださって、ありがとうございます。
神様も人間と同じように迷い苦しんでいるので、仏教の力で救済しなければならない、というのは神様を大切にする考えだったように思えますが、仏教が神様を左右する力を持つとも考えられますものね。
それにしても日本人はうまいこといいかげんに神仏を融合させたのだと思っていましたが、とんでもない間違えでした。ちゃんとした学問、哲学で、論議を重ねたものなのですね。
薬師如来って、インドの仏様だったのですか!東都歳事記を読んでいたら、瑠璃の珠をもっていて浄瑠璃とも関係があるなどと記述があったので、もとは日本もしくは中国に来て仏様になった、インドの神様なのかと勝手に思っていました。いろいろ変化する過程で私のような「オオナムチ(大な無知)」な人が勘違いしたりしてややこしくなるのかも。
Commented by 鶴ヶ島の小人 at 2015-03-02 16:23 x
月猫さま、忍び駒さま
いうのを忘れましたが、私はこのブログをプリントアウトし、赤線を引いて勉強に役立てています。今年の初めからは、忍び駒さまのコメントももれなくプリントしています。
Commented by 忍び駒 at 2015-03-03 06:39 x
鶴ヶ島の小人様
おっしゃる通りで、それぞれの仏様の住んでいる世界のことを「仏国土」といいます。
一人の仏様が教化できる範囲は広大ですが無限ではありません。それぞれに理想の世界を作って住んでいると考えます。
わかり易い例でいいますと阿弥陀如来という仏様は「西方極楽浄土」という世界に住んでいますし、
薬師如来は「東方浄瑠璃世界」という世界に住んでいます。
また釈迦如来は「無勝荘厳国」などと云う世界の盟主であると考えるのです。

こう言った仏教哲学すなわち世界観が構築されたのが、古代のインドであったという意味ですよ。(ははは)
Commented by 鶴ヶ島の小人 at 2015-03-03 14:22 x
忍び駒様
いろいろありがとうございます。
仏教系の大学に入ったので、「宗教学」という授業があり、面白いと思いました。寺社仏閣はその頃から好きだったので、いろいろ知っていればもっと面白いのになあ、とは思っていましたが、単位をとれば何十回も唱えた般若心経すら忘れ・・。でもあの時勉強し始めたら本業の国家試験は落ちていたかもしれません。
今、夫がそっち系統の本を読み始めだしたので、一緒にお寺に行ったら教えてね、と言ったら「とても人に説明できるほど頭には入らない。無理」と言われました(笑)
忍び駒さまがここのコメントみたいにわかりやすい本を書いてくださると助かります。
名前
URL
削除用パスワード

<< あひ鴨一品 鳥安 江戸の寺社 >>