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奈良 若草山 山焼きと牛墓

正月の祭礼・歳事 できるだけ書きたいと思っていましたが もう27日ね!
とりあえず 先日土曜日にあったという「若草山焼き」いってみましょう
知り合いのブログで読んで ちょっと調べてみましたよ
奈良 若草山 山焼きと牛墓_f0122653_16362266.jpg← はい こんな感じね
夜にやるようになったのは 
明治33年からのようですよ
今は 花火の打ち上げもあって 観光行事化してきましたね
「野焼き」なら そりゃあ昔は
昼間にやるのが当たり前なのでしょう
ただし由来はいろいろあるようで
東大寺と興福寺の領地争い説と
いうのもあります

奈良 若草山 山焼きと牛墓_f0122653_1644963.jpg

奈良 若草山 山焼きと牛墓_f0122653_1705245.jpgちょっと 地図を出してみましょう
若草山は 江戸時代には 葛尾山 九折山 と表記し「つづらやま」と呼ばれていました
標高342m 33haの三層になった山です
頂上には 5世紀のものと思われる前方後円墳があり 江戸時代には これが仁徳皇后の墓と比定され 枕草子に載る「うぐいすのみささぎ」と 思われていたのですね
← この碑「鶯陵」は 享保13年(1733)
東大寺の僧侶が 建てたものだそうです
実際には 誰のものか わからないわけですね
さて この碑の他に この山の二層目には「牛墓」と呼ばれる碑がありました
現在 麓の野上神社にあるものがそれで 地蔵の姿と
「南無春日大明神 天文十九 六月 好渕敬白」と 彫ってあったもの
天文19年は 1550年ですから 戦国期 興福寺の僧が建てたものだそうですが
これが何故「牛墓」と呼ばれたのか よくわからないのですよね
二層目にあったものが 何故ふもとの神社にあるかというと
江戸・宝暦の頃 この石・・というか岩? 誰かが 谷底に転落させた
といううわさがあるのですね 変な話でしょ?
それについてこんな話もあるのです
江戸中期 奈良の町医・村井古道の書いた「南都年中行事」からです

 この山(若草山)を焼かざる時は 牛鬼という妖怪出るという
 これより 正月丑の日に放火すといえど 近年元旦より三日をへず是を放火す
 往古より誰人その事を掌るということもなし 
 毎春 行人など放火すと見えたり


どうです? この辺りから「牛墓」に結びついたのかしら?
江戸時代になると この山は幕領になったそうです
そして 誰がやるというわけでなく いわゆる不詳の人によって
毎年 三が日の内に 山は燃え上がったというわけなんですねー 
この落っこちた、か 落とされた石が 掘り出されて
野上神社に置かれたのは 明治33年になってからだそうです
じゃあそれまでは 落っこちて埋まったまま ってことですよね
この「牛墓」 いくら検索しても 画像が出ません 見たいのに~・・・
なんででしょう? 牛鬼が出るから? うわー もっと見たい!
ともかく この毎年の放火=山焼きのおかげで
若草山に生える草は 日本特有の「野芝」という固有種だそうですよ 

by tukitodoraneko | 2015-01-27 17:42 | 祭と歳事

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