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軍師官兵衛 第28回「本能寺の変」

6月2日 本能寺の変 とうとう起こりましたねー
TVだけでも もう数十回見てるでしょう いろんな「本能寺」
もういいかげん飽きたんで 書く気も起きないですが 
あまりさぼると ブログ見てくれる人 激減しますんでね
それじゃさびしいんで 書きましょうね
軍師官兵衛 第28回「本能寺の変」_f0122653_15251151.jpg

↑ 「絵本太閤記」大正4年版 岡田玉山画
2日午後10時ごろ 光秀は藤田伝八郎に毛利家への内応の書簡を託します
一方 京の長谷川宗仁は 秀吉に向けて早馬を出します
長谷川宗仁は 京の町屋衆の一族で 茶人
信長の元で 武士化して行った一族の一員ですね
お墓は 京都・出町柳駅そば 長徳寺に残ってますよ
この二つの使い どちらが先に秀吉の元に届いたのか
第一報はどっちか はっきりとはしてないのですね
大河では 宗仁の早馬の方が先になってました
藤田伝八郎は 水責めの包囲網にひっかかり 三日の夜半とらえられます
宗仁 「明智日向守 謀反を起こし 上さま今晩 本能寺にてご自害なされ
     信忠さまも 二条城にて ご自害」
藤田(明智) 「今月二日 京都本能寺に於いて 信長親子を討ち滅ぼせり
         二、三日中には そちらの羽柴秀吉の陣中にても騒動起こり
         行く先を求めて うろたえることあらん その虚に乗じて討たれれば
         秀吉 いかに知勇ありとも敗れるべし」
両方の書状 こんな風だったようですよ

問題の官兵衛の一言 「これで御運が開かれましたな!」は 当然ながら 
太閤記には 書かれていません
よく この一言によって 秀吉は官兵衛を警戒し 黒田は九州の一勇に終わった
と 言われている問題発言ですが これは「黒田家譜」にしか 載っていません

では 今日はこの辺で・・・・

by tukitodoraneko | 2014-07-14 16:23 | 大河ドラマ

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