江戸の促成栽培
2014年 07月 06日
江戸時代の初物四天王は 初鰹 初鮭 初茄子 初茸 だそうです
そのうち茄子は 江戸初期には 家康の御膝下
駿河の名産でした
五月雨や 酒匂でくさる初茄子(なすび)
川柳にもありますが 5月に箱根山を越えて来るのが
初茄子
初夢に見るといいと言われる「一富士二鷹三茄子」は 家康の好きなもの 駿河の名物 (鷹は富士裾野に生息する唐種の「こまかえり」と呼ばれる鷹)などの説がありますが
もう一つ 初茄子一個一両という値段を聞いた家康が「駿河で高いのは 富士山 足高(愛鷹)山 茄子 だなっ!」 と 言ったからとも伝わります
しかし この初茄子 江戸で早出し(促成)栽培がはじまると 冬でも出回るようになりました もちろん 高級料亭などですがね
作っていたのは 砂村新田です
ここは 摂津(大阪)からやって来た人々が 開拓した土地で
土地の古文書には「砂村ねぎは 大坂の落ち武者が持ってきた」と あります
同様に 京の壬生菜ももたらされ 葛西領で改良され「京菜」と なりました
そして 寛文年間(1661~)になると 松本久四郎という人が
真冬に なす・きゅうり・いんげんまめを作って 幕府に献上しています
この人が 「早出し」の元祖といわれる人ですね
彼は江戸市中から出るごみを
わらや落ち葉と共に積んで
その発酵熱で地温を上げ 炭火を炊いて 油障子で覆い 気温を保ちました
↑ 内部の苗床は こんな感じですね
明治14年に書かれた記録ですが 参考になるかと思います
これらの初物は 高価にとりひきされ 幕府は度々 初物統制のお触れを出しますが
人々の「初物を食べて75日長生きしよう!」という熱はおさまりません
幕末に 八百善で饗されたという「一両二分の茶漬」
これについてきた漬物のなすやきゅうりも たぶん砂村でできたものでしょう
今は 本当に一年中 いろんな野菜が出回っています
江戸のなれの果てに住む私たちも 初物食いには ちがいありませんね
そのうち茄子は 江戸初期には 家康の御膝下
駿河の名産でした
五月雨や 酒匂でくさる初茄子(なすび)
川柳にもありますが 5月に箱根山を越えて来るのが
初茄子
初夢に見るといいと言われる「一富士二鷹三茄子」は 家康の好きなもの 駿河の名物 (鷹は富士裾野に生息する唐種の「こまかえり」と呼ばれる鷹)などの説がありますが
もう一つ 初茄子一個一両という値段を聞いた家康が「駿河で高いのは 富士山 足高(愛鷹)山 茄子 だなっ!」 と 言ったからとも伝わります
しかし この初茄子 江戸で早出し(促成)栽培がはじまると 冬でも出回るようになりました もちろん 高級料亭などですがね
作っていたのは 砂村新田です
ここは 摂津(大阪)からやって来た人々が 開拓した土地で
土地の古文書には「砂村ねぎは 大坂の落ち武者が持ってきた」と あります
同様に 京の壬生菜ももたらされ 葛西領で改良され「京菜」と なりました
そして 寛文年間(1661~)になると 松本久四郎という人が
真冬に なす・きゅうり・いんげんまめを作って 幕府に献上しています
この人が 「早出し」の元祖といわれる人ですね
彼は江戸市中から出るごみを
わらや落ち葉と共に積んで
その発酵熱で地温を上げ 炭火を炊いて 油障子で覆い 気温を保ちました
↑ 内部の苗床は こんな感じですね
明治14年に書かれた記録ですが 参考になるかと思います
これらの初物は 高価にとりひきされ 幕府は度々 初物統制のお触れを出しますが
人々の「初物を食べて75日長生きしよう!」という熱はおさまりません
幕末に 八百善で饗されたという「一両二分の茶漬」
これについてきた漬物のなすやきゅうりも たぶん砂村でできたものでしょう
今は 本当に一年中 いろんな野菜が出回っています
江戸のなれの果てに住む私たちも 初物食いには ちがいありませんね
by tukitodoraneko | 2014-07-06 18:11 | 江戸の食文化