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八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」

八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」_f0122653_15502043.jpg今回は 大山捨松の帰国と鹿鳴館ですね
明治4年 11才でアメリカ留学した捨松が
明治15年の暮れ 22才で帰国します
最強の帰国子女ですねー!
彼女より年上だと 環境の激変に耐えられず
また もっと年下だと 津田梅子のように
日本語をほとんど忘れるという難点があったのですね
捨松の場合も 漢字は読めず 日常会話も2,3か月で 
何とか取り戻すという感じ
まあ10代を 海外で過ごしたら そういうことになるんですね
しかし この翌年 鹿鳴館ができます
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ご存知 井上馨外相の鹿鳴館外交が
花開きますよ
とにかく洋化政策全盛の時
お抱え建築家のジョサイア・コンドルに
作らせたこの建物
名前は「詩経」からとって「鹿鳴」は
「おもてなし」の意味だそうですよ
「お・も・て・な・し」
今も昔も 変わらないってことですか
八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」_f0122653_16113447.jpg

場所は元薩摩藩邸 装束屋敷跡地で 帝国ホテルの隣にありました
しかしこれ 「軽佻浮薄な無駄使い」と 日本人にも評判悪く 
外人からすると「安っぽいカジノみたい」と これもあまり評判良くなくて 
結局 5年間ほどで 井上馨の辞職と共に はかなく幕を閉じました
後には 宮内省が買い取り 華族会館などに使われたり
昭和15年に取り壊されるまで 一応建物はありました
英語オンリーの「東京倶楽部」があったのもここですね
上の浮世絵の頃が 捨松が活躍した全盛期でしょう
江戸東京博物館に 模型がありますのでご覧になってください
そして「明治の滝川クリステル」捨松のことも 覚えていてね 

by tukitodoraneko | 2013-10-27 12:00 | 大河ドラマ

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