八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」
2013年 10月 27日
今回は 大山捨松の帰国と鹿鳴館ですね
明治4年 11才でアメリカ留学した捨松が
明治15年の暮れ 22才で帰国します
最強の帰国子女ですねー!
彼女より年上だと 環境の激変に耐えられず
また もっと年下だと 津田梅子のように
日本語をほとんど忘れるという難点があったのですね
捨松の場合も 漢字は読めず 日常会話も2,3か月で
何とか取り戻すという感じ
まあ10代を 海外で過ごしたら そういうことになるんですね
しかし この翌年 鹿鳴館ができます
ご存知 井上馨外相の鹿鳴館外交が
花開きますよ
とにかく洋化政策全盛の時
お抱え建築家のジョサイア・コンドルに
作らせたこの建物
名前は「詩経」からとって「鹿鳴」は
「おもてなし」の意味だそうですよ
「お・も・て・な・し」
今も昔も 変わらないってことですか
場所は元薩摩藩邸 装束屋敷跡地で 帝国ホテルの隣にありました
しかしこれ 「軽佻浮薄な無駄使い」と 日本人にも評判悪く
外人からすると「安っぽいカジノみたい」と これもあまり評判良くなくて
結局 5年間ほどで 井上馨の辞職と共に はかなく幕を閉じました
後には 宮内省が買い取り 華族会館などに使われたり
昭和15年に取り壊されるまで 一応建物はありました
英語オンリーの「東京倶楽部」があったのもここですね
上の浮世絵の頃が 捨松が活躍した全盛期でしょう
江戸東京博物館に 模型がありますのでご覧になってください
そして「明治の滝川クリステル」捨松のことも 覚えていてね
明治4年 11才でアメリカ留学した捨松が
明治15年の暮れ 22才で帰国します
最強の帰国子女ですねー!
彼女より年上だと 環境の激変に耐えられず
また もっと年下だと 津田梅子のように
日本語をほとんど忘れるという難点があったのですね
捨松の場合も 漢字は読めず 日常会話も2,3か月で
何とか取り戻すという感じ
まあ10代を 海外で過ごしたら そういうことになるんですね
しかし この翌年 鹿鳴館ができます
ご存知 井上馨外相の鹿鳴館外交が
花開きますよ
とにかく洋化政策全盛の時
お抱え建築家のジョサイア・コンドルに
作らせたこの建物
名前は「詩経」からとって「鹿鳴」は
「おもてなし」の意味だそうですよ
「お・も・て・な・し」
今も昔も 変わらないってことですか
場所は元薩摩藩邸 装束屋敷跡地で 帝国ホテルの隣にありました
しかしこれ 「軽佻浮薄な無駄使い」と 日本人にも評判悪く
外人からすると「安っぽいカジノみたい」と これもあまり評判良くなくて
結局 5年間ほどで 井上馨の辞職と共に はかなく幕を閉じました
後には 宮内省が買い取り 華族会館などに使われたり
昭和15年に取り壊されるまで 一応建物はありました
英語オンリーの「東京倶楽部」があったのもここですね
上の浮世絵の頃が 捨松が活躍した全盛期でしょう
江戸東京博物館に 模型がありますのでご覧になってください
そして「明治の滝川クリステル」捨松のことも 覚えていてね
by tukitodoraneko | 2013-10-27 12:00 | 大河ドラマ