人気ブログランキング | 話題のタグを見る

兵は 詭道なり! 孫子の兵法

兵は 詭道なり! 孫子の兵法_f0122653_15403284.jpg大河に出てきた「孫子の兵法」
頼長信西の解釈の違いが 正反対でおもしろかった!・・・という意見が多かったので ちょっと書いて
みましょうね
「孫子」というのは 中国の「春秋時代」の人で 
これは紀元前700年から400年のこと
日本では 神武天皇と同時代 まだ神話の時代ですね
孫子が この書を書いたのも だいたい紀元前500年代と言われていますよ
日本には 天平の頃(8世紀)遣唐使だった吉備真備
伝えたと推測されます
まー ざっと千年以上経ってから 伝わったわけです
源 為義の祖父・八幡太郎義家も 大江匡房から伝授され
兵は 詭道なり! 孫子の兵法_f0122653_15553995.jpg「前九年・後三年の役」で 「水鳥の飛び立つ所に兵がいる」という兵書の言葉をひいて 
伏兵を見破ったと「古今著聞集」に載っています
最も有名な言葉は やはり武田信玄が旗印にも使った
「風林火山」でしょうか はやきこと風の如し・・・ってやつですね
兵は 詭道なり! 孫子の兵法_f0122653_1605570.jpg頼長 信西二人がひいた
「夜 呼ぶものは恐るるなり」は もともと敵陣の様子を判断するための方法で 「おびえた敵は 夜の陣中でも 立ち騒いでいる」と言った意味で 実際にはあまり関係ない文句です
「理に合えばすなわち動き 理に合わざればすなわち止まる」
というのも なんにでも当てはまる一般論に近いですが
夜討ちをかけるかどうかの場面で 正反対の意味に使われていました
頼長は「動かないこと」を選び 信西は「動く」事を選んだというわけですね
当時のいくさに「卑怯」という観念は 武士にはなかったでしょう
相手をだまして勝つのは 「賢い」方法であったのです
孫子も「兵は 詭道なり」つまり 戦とは 敵をだます行為だと言っています
この辺の考えが 公家である頼道には 理解できなかったのでしょう
最後に 為義が「だまれ! 戦を知らぬものは 耳をふさいで 時をすごされよ!」
と 頼長に向かって怒号を浴びせますが 初めて武家の棟梁らしい為義の一言
ジーンとしましたよ 
ついつい応援したくなるのは やはり判官びいきのお国柄?

by tukitodoraneko | 2012-05-29 16:28 | 大河ドラマ

<< 春信との邂逅 怪人 八郎為朝! >>