人気ブログランキング | 話題のタグを見る

平清盛 第21回「保元の乱」

平清盛 第21回「保元の乱」_f0122653_1063910.jpg

さて とうとう最初の山場「保元の乱」です
鳥羽院が亡くなったのが7月2日
崇徳院・頼長が 白河北殿に移ったのが 10日です
同じ日 内裏・高松殿では 後白河天皇の前で 信西・清盛・義朝
そして関白・藤原忠通以下の公卿が 集まり作戦会議
この時 義朝は 先制攻撃を強行主張し 信西もこれに味方しました
これを聞いて 関白・忠通は 天を仰いで絶句したそうです(「愚管抄」)
まさか 元天皇であった崇徳院を攻めることなど 思いもつかなかったのですね
結局 この「保元の乱」は じゃまものを蹴落とし 思うとおりに政治を行いたい信西
同じく 自分の立場を強化したい後白河帝
これをきっかけに 出世したい義朝
三者の意向によって 起こった戦いです
11日早朝 とうとう忠通は攻撃命令を下しました
義朝は「これで のびのび戦える!」と 叫んだそうですよ
清盛の率いた平氏一門の数は 源氏より多かったそうですが
この会議の間 とりたてて発言の記録もないところを見ると
おそらく 平氏にとっては あまり気の進まない戦いだったのでしょう

明日は 源平それぞれの身内の戦いで盛り上がりそう
でも 清盛は戦う気 なかったんだよ ということだけ覚えといてくださいね
では また!  

by tukitodoraneko | 2012-05-26 10:33 | 大河ドラマ

<< 怪人 八郎為朝! 京 九重に匂いぬるかな >>