有名人の肖像画は 本物か?
2012年 03月 10日
おとといのコメント欄で話題になった「肖像画」の真偽
おもしろいから 書いてみましょう
私のほうが 先に本見つけたし ハカマオー頭痛くなっちゃったしね
「本人に似てない」と 一番よく引き合いに出されるのは
西郷隆盛の肖像と 上野の銅像でしょうか
あれは 西郷どんが写真嫌いだったため 弟・従道の顔を基に作ったと言われてますね
それでも まだ家族が生きてたから「似てない」とわかったわけです
じゃあ これはどうでしょう
京都 右京区の神護寺にある平重盛像
これは 最近 足利尊氏像だろ?と 言われているものです
そもそもは 14世紀 南北朝の頃に書かれた「神護寺略記」という寺伝がありまして
そこに藤原隆信という肖像画家が書いた重盛 源頼朝などの肖像画あると書かれているのですね
そこから おそらくこれがそうだろう・・・と推定されていたのです
というのも この肖像画 書かれた人物を特定する詞書がないのですね
それで最近になって イヤこれはちがうだろ?という説が出てきたのです
藤原隆信の生きていた時代よりは 後に
書かれたのが分かったということもありますし
書かれている冠や太刀が 鎌倉後期以降の様式だからということも言われています
また 足利直義が「自分と兄・尊氏の肖像を 神護寺に収めた」とういう記述が見つかり
この→ 今まで源頼朝といわれていた肖像は 直義であると推定されています
でも もちろん 異論もありますし 確定されたわけではありません
国宝にもなっていることだし 神護寺では
変わらず 重盛 頼朝であると主張しているようですよ
もう一枚
京都国立博物館の
← 足利尊氏騎馬像
これは江戸時代に松平定信が「集古十種」という古美術を木版画で紹介した本に「足利尊氏像」とのせたために そのまま伝わってきたのですね
しかし馬具に付いている紋が 尊氏の執事・高師直の「輪違いの紋」なので これも師直では
ないかといわれています
もちろん 確証はありません
次に これは以前 教科書にも載っていた武田信玄の
← 肖像です
息子・勝頼が 代々の菩提所だった高野山成慶院に収めたもので 長谷川等伯の書いたものとなっていますが
これも 絵の人物に関する書き込みはなく
刀の目貫についている紋は 武田菱でななく
「二つ引き両」というものです
これから この人物は等伯の出身地 能登で描かれ
戦国大名・畠山氏の肖像だろうと言われています
今は 教科書にも出てませんし「伝 信玄像」と
なっています
ついでにもう一枚 →
これは東京の浄真寺所蔵の 吉良頼康像
鎧や武具にちゃんと武田菱の家紋が入っていますね
これが 信玄像だと言われることもありますが
浄真寺と吉良氏との関係は分からず 何ともいえません
最近では 高野山持明院に伝わるこの絵が 「信玄像」として使われることが多いようです
一枚目の絵とは 随分違いますね
信玄は 結核を患っていたとも言いますし
そんなに太っていたとも思えませんので
こちらの方が 近いのかな?
でもイメージでは 堂々たる体躯の方が
信玄らしいとも言えます
今日はこんなところで・・・
おもしろいから 書いてみましょう
私のほうが 先に本見つけたし ハカマオー頭痛くなっちゃったしね
「本人に似てない」と 一番よく引き合いに出されるのは
西郷隆盛の肖像と 上野の銅像でしょうか
あれは 西郷どんが写真嫌いだったため 弟・従道の顔を基に作ったと言われてますね
それでも まだ家族が生きてたから「似てない」とわかったわけです
じゃあ これはどうでしょう
京都 右京区の神護寺にある平重盛像
これは 最近 足利尊氏像だろ?と 言われているものです
そもそもは 14世紀 南北朝の頃に書かれた「神護寺略記」という寺伝がありまして
そこに藤原隆信という肖像画家が書いた重盛 源頼朝などの肖像画あると書かれているのですね
そこから おそらくこれがそうだろう・・・と推定されていたのです
というのも この肖像画 書かれた人物を特定する詞書がないのですね
それで最近になって イヤこれはちがうだろ?という説が出てきたのです
藤原隆信の生きていた時代よりは 後に
書かれたのが分かったということもありますし
書かれている冠や太刀が 鎌倉後期以降の様式だからということも言われています
また 足利直義が「自分と兄・尊氏の肖像を 神護寺に収めた」とういう記述が見つかり
この→ 今まで源頼朝といわれていた肖像は 直義であると推定されています
でも もちろん 異論もありますし 確定されたわけではありません
国宝にもなっていることだし 神護寺では
変わらず 重盛 頼朝であると主張しているようですよ
もう一枚
京都国立博物館の
← 足利尊氏騎馬像
これは江戸時代に松平定信が「集古十種」という古美術を木版画で紹介した本に「足利尊氏像」とのせたために そのまま伝わってきたのですね
しかし馬具に付いている紋が 尊氏の執事・高師直の「輪違いの紋」なので これも師直では
ないかといわれています
もちろん 確証はありません
次に これは以前 教科書にも載っていた武田信玄の
← 肖像です
息子・勝頼が 代々の菩提所だった高野山成慶院に収めたもので 長谷川等伯の書いたものとなっていますが
これも 絵の人物に関する書き込みはなく
刀の目貫についている紋は 武田菱でななく
「二つ引き両」というものです
これから この人物は等伯の出身地 能登で描かれ
戦国大名・畠山氏の肖像だろうと言われています
今は 教科書にも出てませんし「伝 信玄像」と
なっています
ついでにもう一枚 →
これは東京の浄真寺所蔵の 吉良頼康像
鎧や武具にちゃんと武田菱の家紋が入っていますね
これが 信玄像だと言われることもありますが
浄真寺と吉良氏との関係は分からず 何ともいえません
最近では 高野山持明院に伝わるこの絵が 「信玄像」として使われることが多いようです
一枚目の絵とは 随分違いますね
信玄は 結核を患っていたとも言いますし
そんなに太っていたとも思えませんので
こちらの方が 近いのかな?
でもイメージでは 堂々たる体躯の方が
信玄らしいとも言えます
今日はこんなところで・・・
by tukitodoraneko | 2012-03-10 15:48 | よしなしごと