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六波羅の高平太

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さて!今日から始まりますので あとちょっとだけ・・・
清盛の誕生日は 元永元年(1118)1月 18日です
覚えやすい誕生日ですね
でも この時代の人で 誕生日がはっきりわかるって 珍しいですよね
これは 平安中期以降 貴族社会で詳細な「日記」をつける習慣ができたからなんです
「男もすなる日記といふものを 女もしてみむとてするなり」
これは紀貫之の「土佐日記」の冒頭部分
この頃の日記は 今みたいに「〇〇に行きました」みたいな個人の行動を
毎日 書くものとは違って 朝廷での政務の有様を綴るものでした
「男もすなる日記」=貴族の政務記録 だったのですね
有名なものでは 藤原道長の「御堂関白記」
藤原(九条)兼実の「玉葉」 藤原頼長の「台記」などがあります
この中の 藤原(九条)道家の日記 「玉蘂(ぎょくずい)」に
「清盛公は 正月十八日の誕生」と ちゃんと書いてあるのです
この他に 寺社などでも 日記=記録は 書かれていましたし
まれには 女性が書いたものも残っています
こうした同時代の記録
また 鎌倉時代に入ってから書かれたもの
「説話集」という平安の噂話を集めたものや「十訓抄」などでは
「平家物語」とは また違った清盛の姿が書かれています
今日は どんな清盛が見られるでしょう
高足駄をはき 黒い馬に乗った14,5才の清盛を
京の町では こんな風に 語り合ったそうです

 六波羅の ふかすみ(黒馬)の 高平太が通るわ

by tukitodoraneko | 2012-01-08 09:05 | 大河ドラマ

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