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両国橋の下には・・・・

知らない・習ってない・記憶力がない
それは「無能」の言訳にならない
努力もせず 無能のままで 給料を取っていいわけもない
一銭ももらわず 努力を続け 知識を身につけた人たちと
対等に話す資格もない

と 江戸随筆の中で ある方が言っていますよ
耳が痛いですねー
さて 今日もまた「藤岡屋日記」です
両国橋の下には・・・・_f0122653_1263061.jpg

葛飾 北斎 「御厩川岸より両国橋夕陽見」 (富嶽三十六景の内)出してみました
今日のお話は この両国橋に関係があります
時は 文化14年(1817)9月9日のこと
この日 稲垣若狭守の嫡子が 登城して帰宅するやいなや
奥方(松平肥前守の娘)を抜き打ちに切り倒し 
そのまま出奔して行方不明という事件が起きます
9月9日というと「重陽の節句」
式日なので一斉登城の日ですねー
この日 お城で何か原因となる出来事でもあったのでしょうか?
文化ごろの「松平肥前」といえば 鍋島家ですよね
この行方不明になった稲垣某は 3日後
両国橋の下で 薩摩芋を食べているところを見つかって捕らえられました
「評判 さまざま」・・・と藤岡屋日記には書いてあります
ただこれだけの記事なんですが 何となく 不思議で 怖くて
心に残りました
歳も分からないし どこに住んでいたかもわからないのですが
おそらく 登城したままの格好で にぎやかな両国橋の下で
一人 もそもそとさつま芋を食べる 遠い目をした男
なんだか鬼気迫る 妖しげな雰囲気だったと思うのです
その後が どうなったのか 奥方は即死だったのか
原因は 城内の人間関係か それとも夫婦間に問題があったのか・・・
捕まった稲垣某は この後 どうなったのだろう?と
想像が止まりません
この事件に関しては 藤岡屋以外の記録が見つからないのですが
ご存知の方がいたら 教えてくださいね
この話 どうも最近の都市伝説みたいに 伝染するらしいのです
この話を聞くと それ以来 両国橋を渡るたびに
「この下で さつま芋をかじる男」が 思い出されてしまうのですねー
きっと あなたも この次 あの橋を渡る時には・・・・・

by tukitodoraneko | 2011-12-10 15:17 | 江戸のあれこれ

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