江戸名所 六阿弥陀

正月の七福神詣の次は 彼岸の六阿弥陀です
この六阿弥陀詣は 阿弥陀如来がある六つの寺を
太陽の運行どおり 東→南→西へと 一日の間に回るものです
こちらは 後生を願うものなので 年寄りが多かったといいます
f0122653_19414565.jpgこれは「江戸名所図会」
亀戸・常光寺
六番目の寺ですね
ここにも「春秋二度の彼岸中 老若参詣群集せり」と 書いてありますね
そしてこの「六阿弥陀」の由来なのですが 「東都歳時記」には 「当時常識であった」と書いてあります
しかし 江戸の常識は 平成の非常識
とっくに忘れられていますので 書いておきましょう
 四十五代 聖武帝のころ・・といいますから 西暦700年代
 当地に足立郡の名の起こりとなった「足立宰相藤原の正成」という人がいました
 この人が 子がないのを嘆き 熊野権現に祈願して 娘を授かります
 この子が「足立姫」 成長して美しい姫となります
 ここに又 豊島郡の名の起こり「豊島左衛門尉清光」というものがあり
 この姫を所望したのです しかし両親も本人も嫁にやるのを拒み
 あわや戦になりそうなので 姫は泣く泣く嫁ぎました
 しかし 姑にいじめられ 里帰りの日に船の上から 荒川に身を投げてしまいます
 おつきの侍女12人も入水し 十二天社として祀られました
 姫の亡骸だけが不明なので 悲しんだ正成は諸国行脚の旅に出
 熊野で霊夢を得ます「この山に一株の霊樹あり これを汝に授ける
 やがて行基という僧が来たれば 六体の阿弥陀を彫らすべし」
 お告げどおりに光り輝く光明木を得て これに名前を刻み
 海に流すと この霊木は 足立の国に流れ着きました
 やがて 行基がこの地にやってきて仔細を聞き 六阿弥陀を刻み
 六字の名号を一つずつに刻み ご詠歌を添えて 安置しました

この六体のうち 最初に刻んだものを「元木」といい
残った木で 造った七体目は「木あまりの弥陀」といいます
寺と ご詠歌を書いておきましょう
 五番 常楽院 下谷広小路(現在は調布市深大寺)
    陀(た)くさんに 唱えし口の此のしたや 五(いつ)ともなしに開く蓮台
 四番 与楽寺 田畑(田端)
    弥(み)なが今 世で種をまけ田畑四(し)かも 仏の花にみのるうれしさ
 三番 無量寺 西ヶ原
    阿(あ)りがたや あみだの浄土西ヶ原 三界衆生残る者なし
 一番 西福寺 上豊島村 元木
    南の家から 廻り始めのその元木 一世のうちの縁となるらん
 二番 延命寺 下沼田
    無かうへば 御法の舟で越す沼田 二たび元の道に迷わじ
 六番 常光寺 亀戸
    仏体を めぐりしまいし亀井戸や 六しん南無やあみだ仏国

    性翁寺 北宮城村 木あまりの弥陀

巡礼の男女は このご詠歌を節をつけて歌いながら回ったそうですよ
しかしこの一日コース 全部で30kmくらいあるんです
昔の人の健脚ぶり かないませんねー

  六つに出て 六つに帰る六阿弥陀
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by tukitodoraneko | 2011-10-24 17:08 | 祭と歳事 | Comments(0)

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