五十にて四谷を見たり花の春
2011年 08月 29日
大河から 家光の出生問題にはまって だいぶ寄り道しているうちに もうすぐ9月です
あと2ヶ月で 今年の「江戸検定」が行われるのですね
ついこの間 4期の方と会ったばかりなのに もう5期の方ができるのですねー
楽しみなことです ブログ読んでくださっている方の中から
新しい1級仲間ができれば いいなーと思っていますよ
そろそろ ブログも「江戸検」に向けて 名所めぐりにもどらないといけませんね
ま、特に名所のことではありませんが 今日は←この人
服部嵐雪のことでも書きましょう
名前は知らなくとも 梅一輪 一輪ごとの暖かさという句は 梅の季節になると必ずといっていいほど聞くでしょう
雪中庵ともいい 蕉門十哲の一人です
この人のお父さんは 淡路の方で武士でしたが
大坂城の落城後 浪人して 江戸・湯島に流れてきます
嵐雪は ここで生まれ「天神の氏子」となりました
若い時は 武士で笠間藩・井上正利に仕えました
この正利 先日の「東照権現祝詞」にでてきた
春日局が すごく悪く言ってたあの井上正就の息子です
実は この息子・正利の結婚をめぐって 豊島氏と春日局が対立し
顔をつぶされた豊島が正就を殺したんですねー
これも変な事件です
豊島氏が勧めたのは 大坂町奉行・島田氏の娘
春日局は これに対し鳥居成次の娘を勧めて 前の縁談を破談にさせます
このため 豊島氏の刃傷沙汰が起こり 二人とも即死
止めに入った青木忠精まで 豊島の自害の巻き添えで死亡
その上 大坂町奉行・島田氏も責任を感じて切腹・・・
じゃあ鳥居氏は無事だったのかというと この人は忠長の付け家老となって
忠長の赦免に奔走した末 亡くなります
何やら 八方ふさがりの事件ですねー
あ、また寄り道しちゃった
で その息子に仕えた嵐雪なんですが 19才から蕉門に入り
つまり 芭蕉の俳諧の弟子となり 31才で致仕・・・武士勤めはやめ
俳諧の宗匠になります
この人は 一時 日本橋の照り降り町で 宝井其角 小川破笠と三人
一つの布団に足を入れ寝起きしたこともある人で
貧乏でも 酒だけは毎日飲んでいたそうですよ
そんな人が 詠んだのがタイトルの句
下町で生まれ 武士勤めしていた嵐雪は 四谷を見たのも50才過ぎ!
師匠の芭蕉とは えらい違いです
しかし 当時ってそんなものみたいですよ
「江戸っ子の江戸知らず」といわれることもありますが
昔は 万事 町内で用が済んだというのもあります
特に 江戸時代・・・どころか 私のひいおばあちゃん・おばあちゃんなど
明治生まれの女の人のほとんども 町内を出ずに一生終わることもあったんですね
今よりもっと 格差のあった時代 下町の人間は下町で一生を終え
山の手は また下町を知らないまま 一生を終えます
実は わたし自身も下町はさすがに知ってますが
隅田川の向こうに初めて 橋を渡っていったのは つい最近です
浅草までは まだ幼い頃から行きましたが「川向こう」は なかったですねー
たぶん 房総などの海に行く時 通過してはいるんですが
渡った先が目的で 行ったことはありません
私のおばあちゃんたちも おそらく母も同じでしょう
今 新しい娯楽施設ができると わーっとやってくるのは
ほとんどが 地方の方々です
江戸時代も 江戸の観光をするのは やはり同じだったのではないでしょうか
家のおばあちゃんは 東京タワーも「おっかない」と言って 上ってないし・・・
(物干しから見えるから いい!・・・とも)
そんな私が 江戸名所を案内するのもどうかと思いますが
嵐雪の例もありますので ま、ぼちぼち 行って見ましょうね
深川はまだ行ってないですよ 誰か案内してねー
あと2ヶ月で 今年の「江戸検定」が行われるのですね
ついこの間 4期の方と会ったばかりなのに もう5期の方ができるのですねー
楽しみなことです ブログ読んでくださっている方の中から
新しい1級仲間ができれば いいなーと思っていますよ
そろそろ ブログも「江戸検」に向けて 名所めぐりにもどらないといけませんね
ま、特に名所のことではありませんが 今日は←この人
服部嵐雪のことでも書きましょう
名前は知らなくとも 梅一輪 一輪ごとの暖かさという句は 梅の季節になると必ずといっていいほど聞くでしょう
雪中庵ともいい 蕉門十哲の一人です
この人のお父さんは 淡路の方で武士でしたが
大坂城の落城後 浪人して 江戸・湯島に流れてきます
嵐雪は ここで生まれ「天神の氏子」となりました
若い時は 武士で笠間藩・井上正利に仕えました
この正利 先日の「東照権現祝詞」にでてきた
春日局が すごく悪く言ってたあの井上正就の息子です
実は この息子・正利の結婚をめぐって 豊島氏と春日局が対立し
顔をつぶされた豊島が正就を殺したんですねー
これも変な事件です
豊島氏が勧めたのは 大坂町奉行・島田氏の娘
春日局は これに対し鳥居成次の娘を勧めて 前の縁談を破談にさせます
このため 豊島氏の刃傷沙汰が起こり 二人とも即死
止めに入った青木忠精まで 豊島の自害の巻き添えで死亡
その上 大坂町奉行・島田氏も責任を感じて切腹・・・
じゃあ鳥居氏は無事だったのかというと この人は忠長の付け家老となって
忠長の赦免に奔走した末 亡くなります
何やら 八方ふさがりの事件ですねー
あ、また寄り道しちゃった
で その息子に仕えた嵐雪なんですが 19才から蕉門に入り
つまり 芭蕉の俳諧の弟子となり 31才で致仕・・・武士勤めはやめ
俳諧の宗匠になります
この人は 一時 日本橋の照り降り町で 宝井其角 小川破笠と三人
一つの布団に足を入れ寝起きしたこともある人で
貧乏でも 酒だけは毎日飲んでいたそうですよ
そんな人が 詠んだのがタイトルの句
下町で生まれ 武士勤めしていた嵐雪は 四谷を見たのも50才過ぎ!
師匠の芭蕉とは えらい違いです
しかし 当時ってそんなものみたいですよ
「江戸っ子の江戸知らず」といわれることもありますが
昔は 万事 町内で用が済んだというのもあります
特に 江戸時代・・・どころか 私のひいおばあちゃん・おばあちゃんなど
明治生まれの女の人のほとんども 町内を出ずに一生終わることもあったんですね
今よりもっと 格差のあった時代 下町の人間は下町で一生を終え
山の手は また下町を知らないまま 一生を終えます
実は わたし自身も下町はさすがに知ってますが
隅田川の向こうに初めて 橋を渡っていったのは つい最近です
浅草までは まだ幼い頃から行きましたが「川向こう」は なかったですねー
たぶん 房総などの海に行く時 通過してはいるんですが
渡った先が目的で 行ったことはありません
私のおばあちゃんたちも おそらく母も同じでしょう
今 新しい娯楽施設ができると わーっとやってくるのは
ほとんどが 地方の方々です
江戸時代も 江戸の観光をするのは やはり同じだったのではないでしょうか
家のおばあちゃんは 東京タワーも「おっかない」と言って 上ってないし・・・
(物干しから見えるから いい!・・・とも)
そんな私が 江戸名所を案内するのもどうかと思いますが
嵐雪の例もありますので ま、ぼちぼち 行って見ましょうね
深川はまだ行ってないですよ 誰か案内してねー
by tukitodoraneko | 2011-08-29 15:13 | 江戸のあれこれ