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お腹の子は誰!?

お腹の子は誰!?_f0122653_13564944.jpg1級仲間の評判はとっても悪いんですが
今日は 「江の実子」についてちょっと書いてみます
二代将軍秀忠の子供は 2才で死んだ
長男・長丸
お静が1611年に産み 後 保科正之となる幸松
それ以外の2男5女は すべて江の子・・・というのが定説になってきました
しかし近年の研究では 様々な資料から
実際に産んだのは 千・初・忠長の3人だけだろうという説も有力です
まず長女・は 伏見で産まれていますし 当時の記録から見ても確実でしょう
しかし 大河で江戸に下ったとたんに妊娠発覚した第二子
これは子々(ねね)と言って 2年後には加賀前田家に嫁に出される珠姫です
この子は 慶長4年(1599)6月11日に生まれたのですが そうすると日付があわないのです
大河では 江と秀忠は一緒に江戸に下ったことになっていますが
実際は 秀吉の死の翌日 8月19日には 秀忠は逃げるように江戸に出立
江は その年12月まで伏見にいたことが分かっています
どう考えても 離れていた間に妊娠したことになってしまいますね
おそらく この二女は 江以外の女性から産まれたんでしょうね
翌年 慶長5年(1600)5月12日には 三女・ 誕生
この子は 後 結城秀康の長男・忠直に11才で嫁ぎます
そして 同じ年 秀忠の長男・翌年には亡くなる長丸が生まれた計算です
ここまででも 江以外に 秀忠に側室がいたのは確か
年上女房が怖くて・・・という説は くつがえりますねー
そして次に生まれた子は 慶長8年(1603)7月9日 4女・
この年 長女・千の婚儀のため 江は身重の身体で上京し
伏見で 初を産み そのまま姉の初にこの子を託します
「次にそなたの産んだ女の子は私に」と 初が大河で言っていましたが
あれに根拠があるのなら 江の産んだ二番目の実子は
この「初」だったのかもしれません
そして 産後の江はこのまま10月まで京に滞在します
ここで大問題 翌年 慶長9年(1609)7月17日には江戸で家光誕生です
産後三ヶ月で江戸に帰って すぐ妊娠・・・というシチュエーションですねー
無理ではありませんが だとしたらなぜ 家光の誕生日は
江の死後1年間 秘密にされていたんでしょう?
この2年後 忠長が生まれ 翌年は天皇の母となる和子が産まれます
この和子にも 異母説があるのは ご存知でしょう
結局 確かなことは 江の実子と思われる子は すべて江の親戚筋と縁組しているということです
千は 姉の子・秀頼と 初は 二番目の姉のところへ そして忠長の正室は 織田家の娘です
25から35才までに 2男5女の7人の子を 全て一人で産んだと考えるよりは
よっぽど 無理のない考えかもしれません
しかし 男の人は この点 あまり重要視しないんですねー
基本 男性は自分の子なら 誰が産んでも違いがないってことでしょうか
女性にとっては 随分な重要問題なんですがねー

by tukitodoraneko | 2011-08-23 15:21 | 大河ドラマ

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