第32回「江戸の鬼」
2011年 08月 21日
昨日は 浅草で江戸検の集まりがありました
明日 くわしく ご報告しますね
その席で 当ブログ 過分に褒めていただき 調子に乗りましたが
「大河ドラマの江はもうやめたらー?」と 耳に痛いご意見も・・・
なんと言っても 江戸検仲間は 女性率 低いからなー
男性陣 今回の大河 お好みに合わないようです
しかし!今回からは 江も江戸に下るんです!
慶長の頃の江戸の町 どんな風に出てくるか 楽しみじゃないですかー?
それとともに ← こんな人も出てきますよ
大姥局(大母局・岡部局とも)です
ご存知 秀忠の乳母で 当時の江戸城の奥を取り仕切っていた人です
この人は 大御所・家康よりも18才も年上
父・岡部貞綱は 今川氏の家臣 夫・川村重忠は
元・穴山梅雪の臣で 後 今川にも仕えた人
今川氏の人質時代の家康は だからこの大姥局の人柄をよく知っていたのですね
それで 浜松城で秀忠が生まれた時 未亡人になっていた
彼女を 乳母として雇うことになったようです
しかし秀忠が生まれたのは 天正7年(1579)
すでにこの時 局は54才!
「台徳院御実記」などでは 「我が乳にてお育てし・・・」と書いてありますが
50過ぎで お乳が出るのでしょうか? 本当ならすごいですねー
秀忠の実母・西郷局は 秀忠が10才の時に亡くなっていますので
どちらかというと 乳母というより 母代わりの教育係では・・・と 思ってしまいます
この人 唯一の道楽は 月に一度 大量の飯・肴を用意して
六尺・中間・小人などの使用人にふるまうこと
この時には 自ら厨房に入り 飯をお椀に盛ってふるまったとか
ある時 本多正信がこれを見て 「侍女もたくさんいるのだから おまかせになれば」
というと 「この頃 そなたには驕慢の噂があるが 今の言葉はその証し
その方 弥三郎とて 鷹匠たりし時を忘れたるか
大切の大殿の補佐として 天下のご政道にあずかるは 心もとなし!」
と 叱りつけられ 正信は赤面して 逃げ出したということです
しかし 何が原因だったのか この正信の次男・政重は
慶長2年(1597) 局の息子・岡部壮八を 切り殺して出奔しています
まさか 父親がののしられた腹いせではないでしょうが
この政重 出奔した後の波乱の人生 今の大河より ずっとドラマチック
大姥局とは 関係ないので 詳しくは書きませんが
あの直江兼続に望まれ 養子となり 末は加賀前田家の家老になるのですねー
この人の生涯書いた小説 ありますかね?
なかったら 誰か書いてくださいねー 読みたいです
さて 局に話を戻しますが この人 死ぬ寸前まで 気丈な人で
病床で 秀忠に 望みを聞かれ 「罪を犯し 流された息子を決して許してくれるな」
と 言うのです 「年老いた姥の情に流され 大法を破ったなどと言われるは
黄泉路のさまたげ」 随分 気の張ったおばあちゃんだったのですね
保科正之を産んだお静は この人の侍女
知り合いの見性院(梅雪の正室)に預けて 育てたのもこの人のおかげです
この方 慶長18年(1613) 88才まで長生しました
法華信者だったようで 池上本門寺の五重塔は この人が慶長13年に寄進したものです
明日 くわしく ご報告しますね
その席で 当ブログ 過分に褒めていただき 調子に乗りましたが
「大河ドラマの江はもうやめたらー?」と 耳に痛いご意見も・・・
なんと言っても 江戸検仲間は 女性率 低いからなー
男性陣 今回の大河 お好みに合わないようです
しかし!今回からは 江も江戸に下るんです!
慶長の頃の江戸の町 どんな風に出てくるか 楽しみじゃないですかー?
それとともに ← こんな人も出てきますよ
大姥局(大母局・岡部局とも)です
ご存知 秀忠の乳母で 当時の江戸城の奥を取り仕切っていた人です
この人は 大御所・家康よりも18才も年上
父・岡部貞綱は 今川氏の家臣 夫・川村重忠は
元・穴山梅雪の臣で 後 今川にも仕えた人
今川氏の人質時代の家康は だからこの大姥局の人柄をよく知っていたのですね
それで 浜松城で秀忠が生まれた時 未亡人になっていた
彼女を 乳母として雇うことになったようです
しかし秀忠が生まれたのは 天正7年(1579)
すでにこの時 局は54才!
「台徳院御実記」などでは 「我が乳にてお育てし・・・」と書いてありますが
50過ぎで お乳が出るのでしょうか? 本当ならすごいですねー
秀忠の実母・西郷局は 秀忠が10才の時に亡くなっていますので
どちらかというと 乳母というより 母代わりの教育係では・・・と 思ってしまいます
この人 唯一の道楽は 月に一度 大量の飯・肴を用意して
六尺・中間・小人などの使用人にふるまうこと
この時には 自ら厨房に入り 飯をお椀に盛ってふるまったとか
ある時 本多正信がこれを見て 「侍女もたくさんいるのだから おまかせになれば」
というと 「この頃 そなたには驕慢の噂があるが 今の言葉はその証し
その方 弥三郎とて 鷹匠たりし時を忘れたるか
大切の大殿の補佐として 天下のご政道にあずかるは 心もとなし!」
と 叱りつけられ 正信は赤面して 逃げ出したということです
しかし 何が原因だったのか この正信の次男・政重は
慶長2年(1597) 局の息子・岡部壮八を 切り殺して出奔しています
まさか 父親がののしられた腹いせではないでしょうが
この政重 出奔した後の波乱の人生 今の大河より ずっとドラマチック
大姥局とは 関係ないので 詳しくは書きませんが
あの直江兼続に望まれ 養子となり 末は加賀前田家の家老になるのですねー
この人の生涯書いた小説 ありますかね?
なかったら 誰か書いてくださいねー 読みたいです
さて 局に話を戻しますが この人 死ぬ寸前まで 気丈な人で
病床で 秀忠に 望みを聞かれ 「罪を犯し 流された息子を決して許してくれるな」
と 言うのです 「年老いた姥の情に流され 大法を破ったなどと言われるは
黄泉路のさまたげ」 随分 気の張ったおばあちゃんだったのですね
保科正之を産んだお静は この人の侍女
知り合いの見性院(梅雪の正室)に預けて 育てたのもこの人のおかげです
この方 慶長18年(1613) 88才まで長生しました
法華信者だったようで 池上本門寺の五重塔は この人が慶長13年に寄進したものです
by tukitodoraneko | 2011-08-21 17:04 | 大河ドラマ