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三つ又 中洲の竜宮城

明日から涼しくなるという予報を信じ 35℃の部屋でブログ打ってますよ
せめて 涼しげな話題にしたいので 今日は三つ又 中洲の話にしましょう
三つ又 中洲の竜宮城_f0122653_13102991.jpg切絵図だと新大橋の南
箱崎川(今は埋め立てでなし)の河口付近にあったただの中洲です
この中州によって 水の流れが三つに分かれるので 三ツ俣 三洲などと呼ばれる月の名所でした
「江戸名所記」によると 八月十五日の夜は 大小の舟がここに集い 三味や太鼓で大騒ぎ
この日だけは許される花火まで打ち上げ 「三又の花火」といいました
三つ又 中洲の竜宮城_f0122653_1324932.jpg「名所図会」は新大橋の
上流から見た図
左上の橋は永代橋 
右は箱崎川の流れです
潮が引くと 人の背より高い葦がしげっていたといいます
ここが月の名所だったのは 天和から元禄のころまで
享保からは 花火のせいもあって 両国橋に人気を奪われてしまいます
三つ又 中洲の竜宮城_f0122653_13334983.jpg

上の絵は 明和ごろの歌川豊春の絵 手前が浜町です
右手に見える立派なお屋敷は 御三卿・田安家の下屋敷
舟をつけて 芸者さんが立ってる所が中洲です
しじみ採りを見物しているようですね
しかし この中洲 ほんの一時期ですが 大きく様変わりします
馬込勘解由らが願い出て 明和頃(1771)から埋め立てが始まり
安永元年(1773)には中洲新地ができ 4年には町屋となって富永町と名がつきます
山東京山によると 「名主二名 湯屋も二軒 通りも大小三、四路もある
水茶屋 軒を並べ 四季庵という大廈玉楼の料理屋あり 
夏には 店々の提灯の灯が 水面に映り 竜宮城が浮かび出たかと思う」
三つ又 中洲の竜宮城_f0122653_1484069.jpgそしてこれが「四季庵 酒宴の図」
窪俊満 画 
天明の頃です
鯛のお造りに 芸者と若旦那
まさに陸の竜宮城ですねー
しかし この新地は 
川幅を狭め 上流で洪水があいついだこと
そして寛政の改革で 目をつけられ 元のごとく 土を運び出し ただの中洲に戻ってしまう
三つ又 中洲の竜宮城_f0122653_14171349.jpgのです
栄えたのは ほんの十数年・・・
広重の「名所百景」では また静かな中洲へと
もどっています →
「みつまた わかれの淵」ですね
吉原の火事で 一時 仮り宅がここにあったこともあり 天明を中心に 芝居小屋・見世物も立ち並んだという中洲新地は 
一夜の夢のように消えてしまいました 
明治になってから再埋め立てが始まり 今ではすっかり陸続き
日本橋 中洲町となってしまいました
江戸時代の一時期 ここに潮のあぶくのように
浮かび上がり消えていった竜宮城があったこと
お近くに行った節は 思い出してみてくださいね

by tukitodoraneko | 2011-08-18 14:30 | 江戸のあれこれ

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