深川の八幡祭
2011年 08月 17日
さて 暑いですが 深川の富賀岡八幡祭 行ってみましょう
八幡宮の祭礼は 江戸時代から8月15日
これはお盆の「放生会(ほうじょうえ)」と 一体だからでしょう
今は なくなりましたが 昔は八幡の門前では 各種の小動物を売って
放し鳥 放し亀・鰻など 買った人が放してやることで 功徳を施しました
八幡には 今も「放生池」が 残っている場合があります
当時の名残でしょう
今でこそ 八月十五日は暑い盛りですが 当時は「葉月」の名の通り
9月の末から10月の初め 朝晩には涼しい風がふくころです
そして当日は 仲秋の名月の日でもあったのですね
川柳でも 深川では祭の準備と 月見団子を作るので さぞかし忙しいだろう
と 言われています
左上④の所が永代橋です
橋を渡り 右に折れると 左に参道が続きます
福シマ橋 八幡橋を渡り 一の鳥居をくぐると 辺りはもう深川七場所といわれた
遊所 料亭の立ち並ぶところ
ここを 進むと 左手に八幡の鳥居が見えてきます
あまりの人出に 文化4年(1807)の祭の日(延期して19日)
永代橋が落ちて 700人以上が死亡する大事故も起こりました
太田南畝の「夢の浮橋」は この時の顛末を書いたもの
これは北斎
大きな幟(のぼり)は三井親和の書
「篆(てん)書」という字体で とても流行って 浴衣の柄にも
なりました
当日 町々は競って 大幟を上げたので
「のぼり祭」とも呼ばれました
この絵では 料理屋らしき家の女たちが 神輿に向かって「おひねり」を投げています
回りにバラ銭もありますので 当時はこういう風習があったのでしょうね
天下泰平 満月のご祭礼 (柳多留)
八幡宮の祭礼は 江戸時代から8月15日
これはお盆の「放生会(ほうじょうえ)」と 一体だからでしょう
今は なくなりましたが 昔は八幡の門前では 各種の小動物を売って
放し鳥 放し亀・鰻など 買った人が放してやることで 功徳を施しました
八幡には 今も「放生池」が 残っている場合があります
当時の名残でしょう
今でこそ 八月十五日は暑い盛りですが 当時は「葉月」の名の通り
9月の末から10月の初め 朝晩には涼しい風がふくころです
そして当日は 仲秋の名月の日でもあったのですね
川柳でも 深川では祭の準備と 月見団子を作るので さぞかし忙しいだろう
と 言われています
左上④の所が永代橋です
橋を渡り 右に折れると 左に参道が続きます
福シマ橋 八幡橋を渡り 一の鳥居をくぐると 辺りはもう深川七場所といわれた
遊所 料亭の立ち並ぶところ
ここを 進むと 左手に八幡の鳥居が見えてきます
あまりの人出に 文化4年(1807)の祭の日(延期して19日)
永代橋が落ちて 700人以上が死亡する大事故も起こりました
太田南畝の「夢の浮橋」は この時の顛末を書いたもの
これは北斎
大きな幟(のぼり)は三井親和の書
「篆(てん)書」という字体で とても流行って 浴衣の柄にも
なりました
当日 町々は競って 大幟を上げたので
「のぼり祭」とも呼ばれました
この絵では 料理屋らしき家の女たちが 神輿に向かって「おひねり」を投げています
回りにバラ銭もありますので 当時はこういう風習があったのでしょうね
天下泰平 満月のご祭礼 (柳多留)
by tukitodoraneko | 2011-08-17 13:14 | 江戸のあれこれ