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大河ドラマ江~姫たちの戦国 第31回「秀吉の死」

大河ドラマ江~姫たちの戦国 第31回「秀吉の死」_f0122653_109838.jpg早いもので とうとうこの方が 亡くなります
豊臣家は事実上崩壊に等しく 幼い秀頼とその母・淀との苦難の日々が始まりますねー
その前年 慶長2年(1597)の5月には 
江は 最初の秀忠の子・千姫を産んでいます
秀忠19才 江は25才 出産は伏見です
これ以降 30過ぎまで 江は2男5女を産んだという事になっていますが 確かに江が産んだと確定できる子は この千姫・初・忠長の三人だけではないかという研究も有ります
確かに短期間に25才を越えて 7人の子というのは 不自然かも知れません
大河ドラマ江~姫たちの戦国 第31回「秀吉の死」_f0122653_102917100.jpg秀吉の病気の噂が広まり 不穏な空気が流れ始めたのは
この翌年 慶長3年の7月のことです
病名は「咳気(がいき)」文字通り
咳が出る病気ですが
肺炎・肺がんが推測されます
百日咳ではなかったのでしょう
秀吉は 病床で やっと2才になる
千姫と 6才の秀頼との婚約を
取り決めます
とにかくとにかく秀頼のため
大きくなって自分で政権を取れるようになるまで 
家康にその補佐となってくれるよう 頼み込むのですね
そして 秀忠にも 「秀頼の舅として 家康のように面倒を見てくれ」と 遺言します
そして 京都側の記録ではこの他にも こんな話が残っています
奈良・興福寺の「多聞院日記」では 秀吉の死の翌年
慶長4年の9月 大坂城で 家康と淀殿の祝言が行われる予定だったというのです
ところがその直前に 大野治長が淀殿を連れて高野山に逃げ込んだと!
とうとう出てきましたね 淀殿の不倫相手として高名な大野治長
この他にも この婚礼は家康が仕組んだものだが
この時 淀殿は大野修理(治長)の子をすでに妊娠していたので
家康は怒り 大野を関東に流した(朝鮮の官人談・伏見在住)
というものや 毛利氏の家臣の書状でも 淀殿と治長の「密通」に触れ
「治長は 殺されるべきところ 高野山に逃げたらしい」と伝えています
後には 淀殿の不倫相手は 名古屋山三郎など いろんな名が上がりますが
同時代の記録では この大野治長 一人です
どちらにしても 噂に上がるのは 秀吉亡き後なんですが
このせいで 秀頼も秀吉の子ではなかった・・・と 噂されるようになるのですね
大河ドラマ江~姫たちの戦国 第31回「秀吉の死」_f0122653_11105816.jpgもしも この時 家康と淀殿が結びついていたら
その後の豊臣家はどうなっていたでしょう
江と淀殿とは 仲良く 江戸城で暮らすことになったかもしれません
63才を一期とした秀吉の遺体は 遺命により
京都市にある阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られました
秀頼が誰の子であれ 秀吉にとっては
愛しい愛しいわが子であったことは 間違いありません 

by tukitodoraneko | 2011-08-14 11:20 | 江戸のあれこれ

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