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家康の江戸入国

昨日の大河はもはや ハーレークインのような展開でした
男性の方々が 離れるのも分かるな・・・
家康の江戸入国_f0122653_8531555.jpgしかし 舅となった徳川さまは 結構出てきたので ここは江戸初期の
お勉強 復習してみましょう
家康が 秀吉から所領換えを言い渡されたのは 北条氏の小田原城が
落城する前のこと
旧領・駿河 遠江 三河 甲斐 信濃の五国の代わりに
北条氏の旧領・伊豆 相模 武蔵 
上総 下総 上野 下野の一部を含む2百万石余りの所領をもらいました
家臣たちは 都から離れたこの人事に反対だったそうですが 家康は「東照宮御実記」によれば
 我たとい旧領をはなれ 奥の国にもせよ百万石の領地さえあらば
 上方に切りてのぼらん事 容易なり

と 余裕シャクシャクだったそうですよ
家康の江戸入国_f0122653_8534482.jpg天正18年(1590)8月1日家康が始めて江戸入りした頃の様子です
ピンクの線が 当時の
ルート
この頃は 金杉から古川を渡り 赤坂・溜池の湿地帯を迂回し 麻布方面から貝塚を通るのが普通のルートだったようです
家康の江戸入りもこの
ルートです
北条氏の支配だったころ
江戸城には城代・遠山景政がいましたが 当時は石垣もなく 低い土塁に木や竹を植えただけ
そして城の南はすぐに海 日比谷入江があったのですね
現在の皇居前あたりには 千代田・宝田・祝田などの漁村が点在するだけ
小石川方面から 平川が流れ 現在の日本橋あたりで海に入り
その河口には 高橋(のちの常盤橋)が架かっていました
このあたりは柴崎村・上平川・下平川村があり 天正12年の文書ではすでに 
江戸宿と呼ばれていて 推定280軒ほどの民家があったそうです
家康が まず最初に行ったのが 知行割り
一万石以上の上級家臣は 北に配置し 信濃・越後からの攻撃に備え
下級家臣は 城の周辺に配置して 一泊で行き来できる所に知行地をあたえ
軍事上の要地・八王子には 武田の遺臣を配備 
これはのちの八王子千人同心ですね
そして 城前面の江戸湾の守備として 武田・北条の遺臣からなる水軍
海賊衆を 集結させました
同時に 町作りも精力的に開始
入国のわずか8日後には 「御城下 橋普請・舟入堀普請はじまる」と
「天正日記」に書かれています
秀忠と江が結婚する5年も前から 徳川家の江戸開発は 始まっていたんだなー
と 覚えといてくださいね

by tukitodoraneko | 2011-08-08 09:56 | 江戸のあれこれ

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