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尾張藩下屋敷 戸山荘

江戸の大名屋敷の名庭 いくつも紹介してきました
いずれ 一つにまとめてみましょう・・・と思っていますよ
しかし! その前にここを書かなきゃ終われないでしょという所が一つ
尾張藩下屋敷 戸山荘_f0122653_1449826.jpgそれが 尾張藩下屋敷 戸山荘です
← 位置はここ 
あとかたもありませんねー
でも穴八幡が今も残るので だいたい
わかります
早稲田大学の西の辺りです
広さは13万6千坪 見当もつきませんね
この内8万5千坪は 寛文11年(1671)
幕府から 拝領しましたが
その3年前 大奥にいた祖心尼から
4万6千坪を譲られて 造営は始まっていました
この祖心尼は 春日の局の縁戚で 
孫娘が 家光の側室・お振の方です
お振の方の生んだ千代姫が この尾張藩の二代・光友に嫁いだので 
藩主にとってもひいおばあちゃんにあたるのですね
尾張藩下屋敷 戸山荘_f0122653_15253265.jpg

↑ 宝暦ころの戸山荘の全体図です
は当時「麿呂ヶ嶽」と呼ばれた築山です
現在は 戸山公園の中に「箱根山」として残っています
約20mの高さですが 標高にすると44,6m
愛宕山が標高25,6m 神田明神が20mですから
おそらく江戸時代には 府下一の高台だったのでしょう
しかし この庭園で最も有名だったのは にあった宿場町です
図では「御町屋通り」となっていますが ここはなんと小田原の宿を
そのまま 移した宿場町があったのです
町屋の数は36軒 通りは200m以上もあり
花屋・本屋・植木屋・酒屋などが立ち並び
中には 小田原名物・外郎(薬の方)の虎屋もあったといいます
町の入り口に立っていたふざけた高札も有名で
大田南畝はわざわざ人に聞いて 本に書き残しています
 一、 この町中では けんか口論なければ 番人も出ず 人も仲裁に出ず 
     奉行所にも届けなくていいよ
 一、 無理やり買い物してもいいよ
 一、 竹や木の枝は キリ(切り)シタンしちゃだめよ
 一、 落花狼藉 ちょっとまずいなー
 一、 人馬の混み合いは あってもなくてもいいよ
簡単に言うと こんな感じ
この戸山荘は 庭好き将軍 11代・家斉や12代・家慶も訪れています
しかし なんと言っても御三家の庭園ですので 町人が見に来られたかどうか・・・
今に残る「戸山荘拝観記」は ほとんど将軍のお供についてきた旗本や
尾張藩士の書き残したものです
尾張藩下屋敷 戸山荘_f0122653_16152554.jpg三井文庫に残る町屋部分の絵です
この他 穴八幡にも絵図が
残っているそうですよ
この尾張藩の屋敷跡は 明治期には近衛騎兵連隊や
あの有名な 陸軍の戸山学校
などになってしまいましたので
もう見る影もありません

尾張藩下屋敷 戸山荘_f0122653_16262836.jpg
でも江戸時代には
誰もが噂を聞き 憧れた
尾張さまの名園がここに
あったこと
どうか覚えておいてくださいね

by tukitodoraneko | 2011-08-03 16:34 | 江戸のあれこれ

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