寒からんほどに見ておけ峰の雪

昨日 和室の整理をしていて 懐かしいものを見つけたので 書いてみましょう
まあ もう時効だし 「お目汚し」ってことで・・・
f0122653_9481391.jpg← はい、だーれだ!? なかなか色っぽいでしょ?
これ 小学4年生 9才頃の私なんですよ
当時 商家の娘は 6才ころから みんな町内の
「踊りのおしょさん」に通うことになってました
私の町内では「坂東流」のおしょさんがいました
町内の路地を入ると 竹垣の奥に 隠居所か妾宅のような 粋なお稽古場があり 小さいうちは奥さんに着付けてもらい 少し大きくなると自分でささっとお稽古着にきかえて 
おしょさんの前に扇を置いて ご挨拶します
お稽古仲間には 近所の質屋の娘さんや 薬屋の娘さん 私の従姉妹もいました
式亭三馬の「浮世風呂」 あの中に「毎日のお稽古が大変で・・・」と 愚痴を言う女の子が出てきますが あれを読むと ちょっと懐かしい感じがします
当時の私たちも 学校やらお習い事で 忙しい日々でした
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踊っている演目は「手習い子」といいます
手習いに通う帰り道・・・って感じですね
手習い帖をもっているでしょ
まだ 小さい子が踊るのは これや 「潮汲み」「藤娘」なんかが多いんですね
もう少し大きくなると 「浅妻舟」「道成寺」「櫓のお七」なんて やりますよ
たぶん中学3年くらいのことでしたでしょうか おしょさんの奥さんが 長火鉢の前でいきなり
「〇〇ちゃんは 大学にいくんだろ?」と 訊きました
f0122653_10221889.jpgはい・・・と答えると 「そう・・それじゃお稽古も たいがいにしとかないといけないね」と おっしゃいました
どうしてですか?と訊くと 
さむからんほどに見ておけ 峰の雪ってね」
私には まだその言葉の意味が分からなかったのですが なぜか長く記憶に残りました
その言葉通り 数年後にはおしょさんが急に事故死したこともあって 受験もちかづき 
私は日舞から離れてしまいました
あれ以来 人の口から この言葉を聞いたことはないですね
なんでも「落語」に出て来るそうで 落語好きの方なら 知っているかもしれません
落語では「吉田兼好が言った」となっていますが 追求するのはやぼだそうです
今ならそれが 「なんでも大概にしておけ」という意味だと分かります
酒席が長引いて帰る時 道楽にはまった若旦那に意見する時
昔の人は こんな風に言ったんでしょう
思い出すたびに あのおそらく粋筋上がりだったろう奥さんの
浮世絵から出てきたような細面の顔と姿が 目に浮かびます
私の「江戸好き」のルーツは この辺にあるのかな?とも 思えます
しかし 江戸に関していえば 「寒からんほど」は とっくに越え
今 まさに 首まで雪に埋まって ラッセル中・・・って感じがしますが・・・
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by tukitodoraneko | 2011-06-08 10:40 | よしなしごと | Comments(12)

Commented by 忍び駒 at 2011-06-08 12:55 x
月猫さま
素晴らしい写真を拝見出来て幸せです。
私にとっては娘の踊りと云うものの初見です。
手習いに通うちょっとおませな町娘の感じがとても品よく出て
いて、ほんとに良い形ですね。
『恋のいろはにほの字を書いて』や、
『眺め尽きせぬ春景色』あたりでしょうか。もう最高!
寒くても眺めていたい雪の峰・・・といったとことです。
Commented by tukitodoraneko at 2011-06-08 13:54
歌舞伎の見巧者で 音曲の権威・・・
そんな忍び駒さまに そんな風に言っていただけるとは・・・!
恥を忍んで 出した甲斐があるってものです
それでも穴があったら入りたいどころか 仕舞いそびれている炬燵に
頭から入りたいほど もったいないお言葉・・・
しかし 自分で言うのもなんですが これが9才ですから
化粧・髪形の助けがあると入っても 15,6才で嫁に行った
本物の江戸の娘たちは 思いのほか大人っぽく ませていたんだろうなあ・・・と 思いました

 
Commented by 竹内 at 2011-06-08 15:00 x
やったー!
私も坂東流でお稽古していたんです。
世田谷の池ノ上というところで。おお先生は目黒でやっていらして、三津五郎のお弟子さんでした。
母はモダンなことが好きで小さい頃は私にバレーをならわせていたのですが、私は歌舞伎なんかのほうが好きで、大学に入った時、入学祝のお金で三味線を買い、踊りと三味線(長唄)をはじめたんです。花柳流などに比べるととても地味でお金が掛からなかったですね。結局諸事情があって三味線は1年くらいしか続かず、踊りは7年ほどやりましたが、大学に残って仕事をし始めたらやはり無理で、中途半端なことに。お名前の試験も受けられませんでした。
こんなんだから、一級の試験もダメなんだなあ。
Commented by tukitodoraneko at 2011-06-08 17:04
竹内さま
わー!偶然ですねー でも自分からお稽古とはすごい!
家は 母が和洋折衷派で 日舞と生花 お茶とピアノに英語
というラインナップでした
いったい どうゆうものになって欲しかったんだか・・・
おかげで オペラもバレエも大好きな江戸検一級の専業主婦です
これで良かったの?お母さん!・・・と 訊いてみたいです
Commented by 竹内 at 2011-06-09 09:40 x
びっくり!
日舞と生花とお茶とピアノと英語・・・忙しい子供の典型ですねえ。
私の母も日舞を習わせているお友達は羨ましかったらしいですが、「発表会にはバレエの10倍もお金が掛かるんだって!」とびびっていました。ピアノとバレエ、というのが当時としては精一杯だったらしいです。
お稽古ごとに英語、というのは新しいですね。「時々ロンドン」ですものねえ。でも、結局は本人のやる気の問題ですよね。幼稚園から英語を習っていても、中学からの入学者と幼稚園小学校からの入学者、一年間別授業だっただけで二年生から簡単に追い越されちゃいましたから。(勿論そうでない人もいます)
月猫さまは察するに、小さい頃からどんなことでもきちんとモノにされる方だったんですねえ。お母様が大いに期待なさって、いろんな可能性を、と考えられた気持、よくわかります。
Commented by tukitodoraneko at 2011-06-09 10:26
いえ、いえ、いえ
何一つ ものになっていません^^
いくつかのお名前をもらって ほったらかしです
ただ6才からの英語(個人授業)は「発音記号」から入ったので
(それも最初の一年間)いまだにとても聞きやすい英語といわれます
しかし最近使ってないので どうだか・・・
日本語でさえ とっさに出ない今日この頃なので
ものになったのは家事・それも料理のみですねー
だから特技と聞かれると カラオケとダンス!と答えてます
出張踊り子が必要な時は 出前いたします

Commented by 竹内 at 2011-06-09 10:43 x
月猫様
わ!もう返信コメントが!と思われるかしら?
今日もホントは仕事中なのですが、最近少子化と働く母親の増加のためか、午前中の診療を希望されるお子さんとても少ないのです。ヒマだあ!なのでまた書いちゃう。
そうですよね!!子供と言えども外人が「ハウアーユー」「一緒にお唄を」というだけでヒアリングや発音が良くなるわけないと思う!
幼稚園の頃、「ローローロヤボー」まではいえるんだけどその後外人尼僧さまがなんと言っているのかわからないから「わおわおわー」「メリリーメリリーメリリーメリリー、らららららー」毎回置いてきぼり食ってそう唄っていたのをまざまざと思い出します。耳が良くないから字を読んでカバーして本好きなのかな。音楽得意な方って語学得意ですものね。やっぱり月猫様はもともと能力高いのでは?
お料理お得意なのも羨ましい。
なんて、今日のお題お書きになる暇なくなるといけないのでもう邪魔しないです。すみません。
Commented by 忍び駒 at 2011-06-09 11:03 x
月猫さま
お目まだるいでしょうが、長唄舞踊「手習子」について少しだけ
つづって、月猫さまの名演技に花を添えたいと思います。
この曲は「お多福半四郎」といわれて親しまれた、女方の名役者、
四世岩井半四郎が寛政四年に初めて踊った曲です。もともとは
七変化ものですから、七回の早変りでそれぞれ違う役柄を踊り
継ぎましたが、そのうちの一つが独立したものです。
七変化の正式名は『杜若七重の染衣』と言いました。杜若とは
カキツバタですが、半四郎の俳名の杜若(トジャク)でもあります。
この踊りは「京鹿子娘道成寺」を丸取りしているところが
あります。そのことで『手習い』の姿を表していると言われます。

ついでに歌舞伎史についてほんのすこし
作詞は増山金八ですが、この踊りの初演と同じ寛政四年に盟友
半四郎と組んで、『三日月お仙』という芝居を出し大当たりを取り
ました。高級な吉原の太夫ではなく、三田三角の最下級の
遊女の生活を歌舞伎に写し取った芝居で、これをもって二人は、「生世話(きぜわ)もの」の開拓者といわれています。
Commented by tukitodoraneko at 2011-06-09 16:32
お返事が遅くなってすみません
今日は 筋トレの日でしたので もうヘロヘロです・・・
竹内さま
能力は日に日に衰えますので 今はただボケないように
10年後も 「歌って踊れる専業主婦」でいられるよう
頑張っております^^b
Commented by tukitodoraneko at 2011-06-09 16:43
忍び駒さま
あの踊りは そんな歴史があったのですか!
今さらながら 教えていただいてうれしいです
男性のおしょさんだったのですが 指先から首の角度まで
とてもていねいに教えてくださる厳しい先生でした
踊りを習う前に 「気持ち」と言って これはどういう踊り(娘・姫・年増・芸者というちがい)で どういう気持ちで踊るのかお話してくださいましたが
こういう細かい歴史は何も知らず 踊ってました
勉強になりました
いつもありがとうございます
私も舞台で 七変化とはいきませんが「ひきぬき」という一瞬で
着物を変えるのは やったことがあります
「浅妻船]だったと思います
あれ 見ているとおもしろいのですが
踊っている方は 何もわからないので ちょっとつまんないんですよ
Commented by 忍び駒 at 2011-06-10 08:02 x
月猫さま
歌舞伎舞踊の浅妻船では、『なぜに男はそれなりに 
沖津島山よる波の 寄せては返す袖の上 露散芦の
花心』で一度引っ込みになります。
『月待つと その約束の宵の月』から衣装をかえ、
鞨鼓を持てでます。その後『末は雲間の三日の付』で
引き抜きになり、振り鼓に代えて、『恋は曲者
忍ぶ夜の』と早間のいいところです。
それにしても、清き乙女にこの文句はと思います。
浅妻船も七変化『月雪花名残文台』で、この文台とは
色紙や硯をのせる小さな台のことです。
Commented by tukitodoraneko at 2011-06-10 12:43
忍び駒さま
お言葉で いろいろ思い出しました
中二だから・・・13,4才でしたね
化粧すると 実の父さえ分からずに 通り過ぎていきました^^
一度 後ろに引っ込み 小道具を変えて 最初の決め
「チントンシャン」のシャンの時 黒子二人が 上下を一瞬で抜いたのを
思い出しました
引き抜きは着付け後に 練習できないので いつも一発本番でした
とはいえ 私は決めポーズで立ってるだけでしたけど・・・ 
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