届け さくら!
2011年 04月 14日
今 読売新聞の「時代の証言者」という記事に 佐野藤右衛門さんが
出ているのを お読みになっている方いますか?
京都・広沢の池(右京区・山越)の近くで「植藤造園」を営む佐野さんは 代々藤右衛門をなのり 当代は16代目 御歳83才です
植藤造園のある地は 古くは御室(おむろ)御所と呼ばれた仁和寺の
寺領でした
ここで 仁和寺に仕え 農業をしていた佐野さんのご先祖は
やがて庭仕事も手伝い始め 12代目の時植木職となりました
今でもこの地区には 植木屋が15軒ほどもあるそうです
当時の植木商は こういう風にして成立して言ったんですね
江戸なら 駒込・染井が 同じような土地です
佐野さんはお祖父さん・お父さんの跡を
継ぎ 「桜守りさくらもり)」と呼ばれ 今も
全国各地を飛び回っています
実は地震後の3月25日には ← 容保桜を 福島県会津若松市に届ける予定だったそうです
京都所司代時代の松平容保→にちなんで造られたこの桜
会津藩の最後の藩主だったこの人も
さぞかし 残念だったことでしょう
この人は あの有名な高須四兄弟の一人ですね
兄弟は それぞれ 尾張藩主・桑名藩主・一ツ橋家の当主です
そして この後 佐野さんは宮城県にも足を伸ばし
「塩釜桜」の様子も見るつもりだったそうです
陸奥の国の一の宮・塩釜神社の境内に咲く塩釜桜は
国の天然記念物にも指定されています
この塩釜神社は 高台にあったため 燈篭40基が倒壊したということですが 本殿と桜の木は 無事だったそうです
東北地方の桜の開花予想は 今日14日です
きっと今年も 被災地の空に 塩釜桜は
美しく咲き誇るでしょう
藤右衛門さん 17才の時 何もかも失った終戦の時も
焼け跡の空には 春になると 桜が咲きました
その時から 60数年 今 藤右衛門さんは 被災地へ送る
彼岸桜の苗木を 準備しています
どんな時も 美しく咲いてきた桜が 少しでも皆さんの心を 癒せますように・・・
出ているのを お読みになっている方いますか?
京都・広沢の池(右京区・山越)の近くで「植藤造園」を営む佐野さんは 代々藤右衛門をなのり 当代は16代目 御歳83才です
植藤造園のある地は 古くは御室(おむろ)御所と呼ばれた仁和寺の
寺領でした
ここで 仁和寺に仕え 農業をしていた佐野さんのご先祖は
やがて庭仕事も手伝い始め 12代目の時植木職となりました
今でもこの地区には 植木屋が15軒ほどもあるそうです
当時の植木商は こういう風にして成立して言ったんですね
江戸なら 駒込・染井が 同じような土地です
佐野さんはお祖父さん・お父さんの跡を
継ぎ 「桜守りさくらもり)」と呼ばれ 今も
全国各地を飛び回っています
実は地震後の3月25日には ← 容保桜を 福島県会津若松市に届ける予定だったそうです
京都所司代時代の松平容保→にちなんで造られたこの桜
会津藩の最後の藩主だったこの人も
さぞかし 残念だったことでしょう
この人は あの有名な高須四兄弟の一人ですね
兄弟は それぞれ 尾張藩主・桑名藩主・一ツ橋家の当主です
そして この後 佐野さんは宮城県にも足を伸ばし
「塩釜桜」の様子も見るつもりだったそうです
陸奥の国の一の宮・塩釜神社の境内に咲く塩釜桜は
国の天然記念物にも指定されています
この塩釜神社は 高台にあったため 燈篭40基が倒壊したということですが 本殿と桜の木は 無事だったそうです
東北地方の桜の開花予想は 今日14日です
きっと今年も 被災地の空に 塩釜桜は
美しく咲き誇るでしょう
藤右衛門さん 17才の時 何もかも失った終戦の時も
焼け跡の空には 春になると 桜が咲きました
その時から 60数年 今 藤右衛門さんは 被災地へ送る
彼岸桜の苗木を 準備しています
どんな時も 美しく咲いてきた桜が 少しでも皆さんの心を 癒せますように・・・
by tukitodoraneko | 2011-04-14 11:24 | 明治・大正・昭和