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今はスパリゾートハワイアンズ

今はスパリゾートハワイアンズ_f0122653_16282920.jpgちょっと前に← この映画TVでやってましたが 
ご覧になりましたか?
常磐炭鉱が閉鎖になる直前に 起死回生の策として
作られた「常磐ハワイアンセンター」誕生の物語です
ここ たぶん私すごく小さい頃に行っています
まだ 本当のハワイになんて誰も行ったことのない頃
みんながあこがれた常夏の国ですねー
今では 「ワイハ」は忙しい芸能人が正月に行くところと
なってしまいましたよ
今日は この「常磐炭鉱」自体ができた頃のことを
書いてみましょう
このあたり一帯を「常磐炭田」といいまして
往時には 130あまりの炭鉱がありました
ここに中央の資本が入り 近代化するのは
明治になってからのことです今はスパリゾートハワイアンズ_f0122653_16432840.jpg
安政ごろより あちこちに露出していた石炭層を 採掘する者はいたのですが 中でもこの→片寄(かたより)平蔵という人は 商才がありました
もともと材木商だった平蔵は 江戸と行き来するうち ペリー来航で「石炭を燃やし黒煙をあげて走る黒船」の話を聞いて 石炭の将来性をいち早く見抜いたというわけですね
故郷の海岸の砂に 石炭の粉が混じっているのを手がかりに 夏井川・新川・白水川とさかのぼって 当時は陸奥国
湯長谷(ゆながや)藩内の白水村・弥勒沢の崖に 露出した石炭層を見つけたといいます
今はスパリゾートハワイアンズ_f0122653_1795744.jpg彼はすぐに湯長谷藩に採掘許可をもらい 採掘に乗り出します
ちなみに 当時の方法は「狸掘り」といい 石炭を掘ってはザルで担ぎ出す・・・その格好が狸が穴から這い出すようだったのでこう言われます 
「狢(むじな)掘り」ともいいますね
ここから平蔵はトントン拍子に 水戸藩の反射炉の燃料や 幕府の御用達などをつとめ 一挙にのし上がっていきますよ
そして笠間藩の御用商人となると 横浜開港後には 野毛山に「石炭屋」という店を出して 石炭以外の物品の輸出も始めました
笠間藩は 彼を「永代郷士」という士分に取り立て 苗字帯刀を許して厚遇しましたので 
平蔵は馬に乗り 江戸では笠間藩の藩邸を常宿とするほどの権勢ぶり
今はスパリゾートハワイアンズ_f0122653_1722439.jpgしかし 好事、魔多しといいますが この片寄平蔵
万延元年(1860)の8月 この笠間藩邸内で 急死してしまうのです
平蔵 48才 石炭層を発見してから5年2ヶ月後の
ことでした
急速な出世と 蓄財が藩内でも 憎まれていたと
言われてます
この屋敷は 日本橋・浜町にあり 今でも屋敷神
「笠間稲荷」がある場所です
きっと お稲荷さまは 平蔵の急死の原因をご存じだったでしょうねえ
「出る釘は打たれる」 幕末のちょっと怖いお話でした

by tukitodoraneko | 2010-02-20 17:32 | 幕末

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