今はスパリゾートハワイアンズ
2010年 02月 20日
ちょっと前に← この映画TVでやってましたが
ご覧になりましたか?
常磐炭鉱が閉鎖になる直前に 起死回生の策として
作られた「常磐ハワイアンセンター」誕生の物語です
ここ たぶん私すごく小さい頃に行っています
まだ 本当のハワイになんて誰も行ったことのない頃
みんながあこがれた常夏の国ですねー
今では 「ワイハ」は忙しい芸能人が正月に行くところと
なってしまいましたよ
今日は この「常磐炭鉱」自体ができた頃のことを
書いてみましょう
このあたり一帯を「常磐炭田」といいまして
往時には 130あまりの炭鉱がありました
ここに中央の資本が入り 近代化するのは
明治になってからのことです
安政ごろより あちこちに露出していた石炭層を 採掘する者はいたのですが 中でもこの→片寄(かたより)平蔵という人は 商才がありました
もともと材木商だった平蔵は 江戸と行き来するうち ペリー来航で「石炭を燃やし黒煙をあげて走る黒船」の話を聞いて 石炭の将来性をいち早く見抜いたというわけですね
故郷の海岸の砂に 石炭の粉が混じっているのを手がかりに 夏井川・新川・白水川とさかのぼって 当時は陸奥国
湯長谷(ゆながや)藩内の白水村・弥勒沢の崖に 露出した石炭層を見つけたといいます
彼はすぐに湯長谷藩に採掘許可をもらい 採掘に乗り出します
ちなみに 当時の方法は「狸掘り」といい 石炭を掘ってはザルで担ぎ出す・・・その格好が狸が穴から這い出すようだったのでこう言われます
「狢(むじな)掘り」ともいいますね
ここから平蔵はトントン拍子に 水戸藩の反射炉の燃料や 幕府の御用達などをつとめ 一挙にのし上がっていきますよ
そして笠間藩の御用商人となると 横浜開港後には 野毛山に「石炭屋」という店を出して 石炭以外の物品の輸出も始めました
笠間藩は 彼を「永代郷士」という士分に取り立て 苗字帯刀を許して厚遇しましたので
平蔵は馬に乗り 江戸では笠間藩の藩邸を常宿とするほどの権勢ぶり
しかし 好事、魔多しといいますが この片寄平蔵
万延元年(1860)の8月 この笠間藩邸内で 急死してしまうのです
平蔵 48才 石炭層を発見してから5年2ヶ月後の
ことでした
急速な出世と 蓄財が藩内でも 憎まれていたと
言われてます
この屋敷は 日本橋・浜町にあり 今でも屋敷神
「笠間稲荷」がある場所です
きっと お稲荷さまは 平蔵の急死の原因をご存じだったでしょうねえ
「出る釘は打たれる」 幕末のちょっと怖いお話でした
ご覧になりましたか?
常磐炭鉱が閉鎖になる直前に 起死回生の策として
作られた「常磐ハワイアンセンター」誕生の物語です
ここ たぶん私すごく小さい頃に行っています
まだ 本当のハワイになんて誰も行ったことのない頃
みんながあこがれた常夏の国ですねー
今では 「ワイハ」は忙しい芸能人が正月に行くところと
なってしまいましたよ
今日は この「常磐炭鉱」自体ができた頃のことを
書いてみましょう
このあたり一帯を「常磐炭田」といいまして
往時には 130あまりの炭鉱がありました
ここに中央の資本が入り 近代化するのは
明治になってからのことです
安政ごろより あちこちに露出していた石炭層を 採掘する者はいたのですが 中でもこの→片寄(かたより)平蔵という人は 商才がありました
もともと材木商だった平蔵は 江戸と行き来するうち ペリー来航で「石炭を燃やし黒煙をあげて走る黒船」の話を聞いて 石炭の将来性をいち早く見抜いたというわけですね
故郷の海岸の砂に 石炭の粉が混じっているのを手がかりに 夏井川・新川・白水川とさかのぼって 当時は陸奥国
湯長谷(ゆながや)藩内の白水村・弥勒沢の崖に 露出した石炭層を見つけたといいます
彼はすぐに湯長谷藩に採掘許可をもらい 採掘に乗り出します
ちなみに 当時の方法は「狸掘り」といい 石炭を掘ってはザルで担ぎ出す・・・その格好が狸が穴から這い出すようだったのでこう言われます
「狢(むじな)掘り」ともいいますね
ここから平蔵はトントン拍子に 水戸藩の反射炉の燃料や 幕府の御用達などをつとめ 一挙にのし上がっていきますよ
そして笠間藩の御用商人となると 横浜開港後には 野毛山に「石炭屋」という店を出して 石炭以外の物品の輸出も始めました
笠間藩は 彼を「永代郷士」という士分に取り立て 苗字帯刀を許して厚遇しましたので
平蔵は馬に乗り 江戸では笠間藩の藩邸を常宿とするほどの権勢ぶり
しかし 好事、魔多しといいますが この片寄平蔵
万延元年(1860)の8月 この笠間藩邸内で 急死してしまうのです
平蔵 48才 石炭層を発見してから5年2ヶ月後の
ことでした
急速な出世と 蓄財が藩内でも 憎まれていたと
言われてます
この屋敷は 日本橋・浜町にあり 今でも屋敷神
「笠間稲荷」がある場所です
きっと お稲荷さまは 平蔵の急死の原因をご存じだったでしょうねえ
「出る釘は打たれる」 幕末のちょっと怖いお話でした
by tukitodoraneko | 2010-02-20 17:32 | 幕末