たまに更新するかも・・・


by tukitodoraneko
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狐落としの殿様

さて 前から一度書こうと思っていた「狐憑き」の話 読んでみてください
f0122653_1226259.jpg美人に化けたり 妖怪変化となって人をだましたり
するいたずら者・・・という以外に 「人に憑く」という
悪さをするという狐
狐に憑かれた人は 普段は字が書けなくとも書けるようになったり なんだかえらそうに喋ったりと 
今で言う「多重人格」の態をあらわします
これは 江戸時代にも 儒者から言わせれば「癇症の者の気の病」 ということで片付けられました
しかし 上田秋成はこれに反発 狐憑きはいくらでもある、観念に凝り固まって 事実を認めないのは
認識不足だ!と 怒っています
f0122653_12381978.jpgさて どちらだったんでしょうねー
江戸時代の随筆の中には 狐に憑かれた話が たくさん出てきます
特に有名なのは 江戸以前になりますが 豊臣秀吉の養女で 宇喜多秀家に嫁いだ「豪姫」に狐が取り付いた話 この時 太閤秀吉は 「伏見稲荷」に狐落としの祈祷を命じ もしも落ちない時には 伏見社は破却、日本国中の狐を狩って 一匹たりとも残さない!と豪語したんですね
また 八代将軍吉宗公も お側衆・小笠原石見守の家来に狐が憑いて困っていた時に 
「我が申し付けであるから早々に立ち退け」と 伝えさせると 
たちどころに狐が落ちたという話も残っています
f0122653_12571100.jpgこれは 太閤や将軍の威徳の前には 本物であろうが、なかろうが 
狐は落ちずにいられないって話ですね
また 弘化元年(1844)のことですが 町奉行に裁かれた「狐憑き」というのもあったのです
内藤新宿は 太宗寺門前の商人の妻 38才になる「とり」が 産後の「血の道の病」になったところから 当時のこと いろいろな祈祷や神だのみをしている内に 狐がとりついて わけのわからないことを言い散らすまでになりました
これに 狐使いの行者もからみ 大騒ぎになって 結局はお白洲にまで呼ばれることになりました
裁いたのは 跡部能登守良弼(よしすけ) この人は旗本・跡部家に養子に行きましたが 
老中・水野忠邦の実弟です
これも当時 飛ぶ鳥落とす勢いですから 「畜生 立ち退け!」と大音声で一喝すると 
とりは気絶 どうやら 狐も奉行の一声で 逃げ出したようです
町人も狐も 奉行には勝てないようですね
f0122653_13123427.jpgさて ここにもう一つ おもしろい話が残っています
これは 明治になってから72才の老人が語った 嘉永ごろの話です
当時 「狐憑き」というものが流行り 神田の妻恋稲荷では神主が 狐落としの祈祷に歩いたそうですが 同じ神田の和泉町に「能勢熊之助」という四千八石の旗本があり この家からも「狐落とし」の御札=「能勢の黒札」というのを出していて この御札で撫でると 狐はスッと落ちるといわれたそうなんですよ
f0122653_13201961.jpg← 当時の切絵図にも「藤堂和泉守」の隣にちゃんと載っています
ここの殿様が 狐落としの名人で とにかくここへ担ぎ込めばたいていは治るといわれたそうです
この話の主人公は 若気のあやまちで 家の金を持ち出して吉原にはまり とうとう帰るに帰られず 思いついて「狐憑き」のふりをしたのです
親は心配して飛んでくる 手厚く看護され 加持祈祷もおもしろく ぼやぼやしている内に 
とうとう放蕩息子は 最後の手段「能勢様」に担ぎ込まれてしまったのです
お堂の中で 一つ二つ殴られ ああ、やめときゃよかった・・・と思っていると 立派な侍が出てきて 一目見るや「このご仁は 狐憑きでも 発狂でもない」と 一言で断定!
「それそれ 当人も赤面しておる 神を騙ると罰が当たるぞ けしからん!」と しかられて 
ほうほうの態で逃げ出すはめになりました
こんな風に 「にせ狐憑き」っていうのも 結構いたのかもしれませんねー
たまに 仕事にうんざりしたら 私もこの手を使ってみようかな

  「正一位 稲荷大明神にあるぞ! 酒と稲荷寿司を所望!」

どうかしら?
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by tukitodoraneko | 2010-02-05 13:43 | 祭と歳事