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静嘉堂で 目の贅沢  

2012年 05月 17日










次は 静嘉堂に行ってみましょう
入口からもう深山幽谷の感じ ↑
さすが岩崎家 三菱財閥の財力 これでもか! 
と感じますね
今美術館では こういうのやってます →
立派な霊廟は コンドルの設計
鹿鳴館を建てた人ですね
東京大学講内に 銅像が立っています
辰野金吾はこの人の弟子
このコンドルさんは 岩崎家の御用建築家と言われたほど いろいろ縁が深かったようです
ここまで結構な 山道のぼりますよ
ちょっとハイキング気分ですね
二子玉川の駅前から バスも出てます
都内とは思えないほど 閑静ですよ
美術館の隣にあるのは静嘉堂文庫
20万冊の貴重書が集められていますが
大学生以上で 紹介状がないと入れま
せん 残念ですねー 
どなたか 月猫を紹介して下さいよ
美術館の方は 大人800円を払えば
誰でも 入れますよ
こちらも 逸品揃いですから 目の保養にぜひどうぞ!

# by tukitodoraneko | 2012-05-17 10:18 | 江戸あるき | Trackback | Comments(0)

松の「三代さま」に拝謁  

2012年 05月 16日
昨日の続きです
← 都立園芸高校は 深沢にあります
この日は「オープンキャンパス」
秋にも「園芸祭」というのがあるそうですよ
生徒さんたちは 全員「こんにちわー」と
元気に声をかけてくださいます
いい学校ですねー
さすが 生命を育む勉強をなさっているだけのことはあります
夜の校舎で窓ガラス割るのとは 大ちがいです
そんな 優しい生徒と先生に守られて
鎮座ましますのが 徳川三代将軍・家光さま
遺愛の盆栽 親しみをこめて「三代さん」

 三代将軍の松 
 このゴヨウマツの盆栽は
 徳川第三代将軍家光の遺愛の松と伝えられ
 明治の初め 上野車坂の小山田嘉吉が入手し
 後 本校創立に際して 東京府にて購入し
 本校に移管された 樹齢460年を越える


という立て札が立っています
ちょうど この松を管理する先生がいらして
とても親切に ド素人相手に説明して
くださいました
← こちらも同じゴヨウマツです
日本には「三大古盆栽」というのがあるそうで そのうち二鉢が
こちらに・・・
残る一つは 宮内庁が管理してるものだそうですよ
そっちは さすがに見れないで
しょうから どうぞこちらで 
ご覧になってね
先生の話では 家光の時代にはすでに百年以上経っている松だから ホントはもーっと樹齢は長い
はず・・ということです
盆栽の百歳は まだまだお子ちゃまだそうですよ
うらやましい話です
都立園芸高校の地図を出して
おきます →
緑が多く 広々とした 清々しい
高校です
ぜひ 三代さまと かわいい生徒達に会いに行ってみてくださいな 

# by tukitodoraneko | 2012-05-16 16:55 | 江戸あるき | Trackback | Comments(0)

サザエさんは24才!  

2012年 05月 15日
先週 土曜は 江戸検仲間の原さんのご招待で 桜新町に行きました
定例会以外でも こんな町歩きがたまにあります
何かの「公開日」にあたると 急遽 数人で出かけます
今回の目玉は 園芸高校のオープンキャンパスで公開する「三代さまの松」と 静嘉堂の
「平治物語絵巻」です
← 駅を出ると サザエさん親子のお出迎え!
そう、ここは「長谷川町子美術館」のある町
なんですね
商店街のあちこちに一家の像が 立って
います
右の写真は カツオちゃん親子ですね
後ろに立ってるのは 一家ではなく
木下さんです(ブラタモリに出演!)
しかし磯野フネさん 42才って知ってました? サザエさんは24才です!
いつのまにか ずっと年上ですよ 
ショックですね!
← そしてここが「美術館」の横の部分
おなじみの一家の絵に ごく自然に 
通りがかりの子供達が入ってくれました
なんだかほんわかした いい町ですね
ここから ぶらぶら歩きながら二子玉川方面に向かったのですが 落ち着いた住宅街で 有名人のお宅も数多あり
地元の原さんならではの情報ですねー
大物演歌歌手S・Kさんのお家の前では
「365歩のマーチ」歌いましたよ










さて では 上の広大な塀の続くお家は 誰のお屋敷かな?
門前には 警備の方も常駐です
実は 今最も話題の政治家 O沢さんのお屋敷なんですよー
月猫 こっそり隠し撮りですんで 今日は この辺でー^^/

# by tukitodoraneko | 2012-05-15 12:15 | 江戸あるき | Trackback | Comments(0)

平清盛 第19回「鳥羽院の遺言」  

2012年 05月 13日

さて 雅人親王→後白河天皇が誕生し ごたごたしてますね
この時 藤原忠通(兄の方)は 関白に任じられましたが
弟でやり手の頼長は 期待はずれで 内覧にも選ばれませんでした
これには 裏で信西が 糸を引いていたんですね
17才の近衛天皇が 眼病で急死したのは
「何者かが 愛宕山の天公像(天狗像)の目に釘を打って呪詛したせいだ」
と 鳥羽院に告げ口しました
院が 調べてみると まさにその通り!
そして 美福門院 忠通らが これを忠実・頼長のせいにしたので
鳥羽院は 徐々に頼長を憎むようになっていったのです 
それでも 鳥羽院が生きている内は 院政はゆるぎませんでした
残念ながら この翌年 保元元年(1156)6月はじめ 鳥羽院は危篤に陥ります
そして「自分の没後は 美福門院を中心に関白(忠通)・公卿が
結束して 政局に当たるように」と 遺言するのですが
すでにこの時 政局の鍵を握っていたのは 信西だったのですね
信西の「崇徳院・頼長排除計画」は 止まらない!
そして「保元の乱」へと突入していきます

同時に 源家でも 事件が起こっていました
後白河帝が擁立されると 美福門院を通じて こちら側についた義朝
ところが 父・為朝は 頼長親子についていた為 またもや失脚の予感
そんな時 父から東国をまかされた次男・義賢(よしかた)
覚えてますね あの友切丸をもらった子です
その子の住んでいた大蔵館を なんということか義朝の子・義平が襲い
なんと 叔父に当たる義賢を 討ち取ってしまったのです
この時 義平はまだ たったの15才!
なんたる悪童かと この後 義平は「悪源太」と呼ばれるようになります
清盛の「高平太」同様 とんでもない源氏の長男・・・という意味ですね
やられた義賢の遺児が 後の「木曾義仲」ですよ
この事件は 後を引き やられた義賢の養子になっていた弟で三男の頼賢
報復の為 信濃の鳥羽院領に乱入し 義朝に「追討宣旨」が出る騒ぎ
義朝が これを受けなかった為 兄弟対決は避けられましたが
義朝と 父・為朝の立場は とっくに離反していたんですね
さて 事前勉強はここまで!
あとは ドラマを見た後でね^^/


# by tukitodoraneko | 2012-05-13 10:39 | 大河ドラマ | Trackback | Comments(6)

北条氏の石垣  

2012年 05月 11日
← はい!小田原城です
お城好きの皆さんに 今日はお城の話です
小田原城は 戦国時代から江戸時代にかけての平山城で 後北条氏の居城
3代当主・北条氏康の時には難攻不落 
無敵の城といわれ
上杉謙信や武田信玄の軍隊を迎え討っています
秀吉の「小田原攻め」も有名ですね
江戸以降は 大久保氏が入り
小田原藩の藩庁がありました
城跡は国の史跡に指定されています
戦国と江戸の遺構を併せ持つ珍しい城ということですよ
「御用米曲輪」の部分からは 今年一月 
堀とともに1,6mの石垣も発見されていました
今回は 現天守閣の北西部 八幡山に当たるところで 階段状の道路遺構に沿って 
長さ10mにわたる石垣が発掘されました
直系30~70cmの川原石を 表面が平らになるように積み上げてあり 当初は2mの高さがあるものだったそうです

秀吉の小田原攻めを描いた絵図によると
八幡山には 4代当主・氏政 現本丸には
5代・氏直がいたと記されていて この遺構は 両者の居館を結ぶ「大手道」を飾る象徴的な石垣だったのでは・・・と
推測されています
戦国期の石垣は これまで西国が中心と考えられ
20年ほど前までは 八王子城などの一部の例外を除き
東国には 石垣を備えた城はないとされていました
その後 群馬の金山城 埼玉の鉢形城でも 戦国期の石垣が確認され 15世紀の後半から 東国にも石垣を備えた城が出現しはじめたことが分かってきました
今回 東国の雄・北條氏の本拠地での石垣発見は
その意味でも 重要なものとなりそうですね

# by tukitodoraneko | 2012-05-11 11:59 | 戦国 | Trackback | Comments(8)

竜巻と辻風  

2012年 05月 09日
ここ数日「竜巻」のニュースでいっぱいです
せまい日本でも 年平均17の竜巻が起こるそうですよ
江戸時代は この竜巻 読んで字のごとく
龍が昇天する時の姿と見られています
確かに こんな風に土を巻き上げ 立ち上がる姿は 龍の昇天に例えたくなります →
大陸で起こるもっと大型の
トルネードは その平で巨大な姿から「天のハンマー」と
呼ばれます
ハンマーのように 触れるもの全てを打ち砕いていく・・
という意味もあるのでしょう
先日 ご紹介した「方丈記」には 治承4年(1180)の辻風のことが 書いてあります
辻風というと なんだか小さなつむじ風のように聞こえますが
この時の「辻風」は 卯月(4月29日)京都 上京区松蔭町辺りから 未の方(南南西)へ走り 東本願寺の辺りで消え
その走り抜けた後には「一つの家も残ったものはない」と
書かれています 今回のようにかなり大きな竜巻だったのでしょう
藤原定家の「明月記」にも この日 未の時(午後二時ごろ)
雹(ひょう)が降り 雷鳴が2〜3度とどろき 猛烈な稲光が走ったと思うと
北方に煙が立ち上り 京は騒然となった と書かれています
「木が抜き去られ 石が舞い上がり 家も門も牛車もみな吹き上げられ
古老も今までこんな話は聞いたこともないという」
その破壊力のすごさが わかりますね
水面上では 水温との温度差で ← このような「漏斗雲」が起こりやすいと言われています
これこそ竜神=水神が 昇天する様そのものですね
このように 遠くから見ている限りでは
竜巻は 竜神の昇天で済むでしょうが
平安の京の都や 先日のように住宅地で起こった場合は
ただの災害と みなされたのでしょう
それこそ破壊的な「天のハンマー」ですね
この1180年 平清盛の孫の安徳帝が 帝位についています
清盛が栄華を極めた年は 大旋風の年でもあったのですね
今日・明日はまだ天気が不安定です
お気をつけくださいね

# by tukitodoraneko | 2012-05-09 14:45 | よしなしごと | Trackback | Comments(2)